失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語 / 向陽地区 / 大藤地区

向陽地区旧村史

大藤地区の成立と磐田原台地の暮らし

磐田市大藤地区の沿革を、大久保、藤上原、藤野、原、磐田原台地、水利、天水井戸、寺社、学校、公民館の変遷から読み解きます。

岩田大藤向笠天竜川・磐田原台地・太田川水系を結ぶ模式図
資料PDFの挿絵は転載せず、地形と旧村の関係を独自に模式化した図です。

資料画像を目視して作成した整理ページです。小字や寺社名は判読の余地があるため、今後の原本確認・地域資料確認で更新します。

磐田原台地上の大藤地区

大藤地区は、資料では旧磐田郡大藤村、旧豊田郡大藤村として扱われる。明治二十二年の町村制により、大久保村、藤上原村、平松掛下入作などが合併して大藤村となり、当初は四大字を編成し、向笠村と組合をつくって運営された。村名は大久保と藤上原の頭文字をとったものと資料は説明している。

水に乏しい台地の暮らし

大藤を特徴づけるのは、磐田原台地上の水の得にくさである。資料には、全村が畑地と山林で田園はなく、一般に井水に乏しく、雨水を貯えて飲料に供していたという趣旨の記述がある。農業は茶、甘藷、養蚕、麦、葉煙草などと結びついていた。

大久保・藤上原・藤野・原

大久保は、大藤村の中心として公民館や役場の記憶と結びつく。藤上原は台地上の耕地を表す地名として読み取れる。藤野や原は、周辺村との関係や開発の経緯を考えるうえで欠かせない。平松掛下入作のような長い地名は、他村からの入作や境界の記憶を伝える。

台地開拓の記憶

大藤地区の歴史は、台地を畑地として使い、限られた水を工夫し、集落を維持してきた歴史である。向陽地区のなかで大藤を位置づけると、岩田の川沿い、向笠の水系と丘陵に対して、台地上の暮らしが鮮明になる。

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参考資料・注記