毎年、旧暦の8月10日が近づくと、見付のまちは祭りの気配に包まれる。見付天神裸祭。腰蓑をつけた裸の男衆が押し合いもみ合いながら練り歩き、拝殿で鬼踊りを舞う、勇壮な祭りである。「天下の奇祭」と呼ばれ、平成12年(2000年)には国の重要無形民俗文化財に指定された、このまちが誇る祭りである。
神様が、総社へ渡る夜
この祭りは、見た目の勇壮さだけで語られがちだが、その芯にあるのは、ひとつの神事である。見付天神社、正しくは矢奈比賣(やなひめ)神社の祭神が、遠江国の総社である淡海國玉神社へと渡御する——つまり神様がお出ましになって総社へ渡る、その神事を中心にした祭りなのである。
裸の男衆が町中を練り歩くのは、この神輿の渡御に先立つもの。サラシと腰蓑を身につけた男たちが旧東海道の往来を練り歩き、矢奈比賣神社へと向かう。そして拝殿に集い、鬼踊りと呼ばれる乱舞を繰り広げる。その後、灯火がいっせいに消され、漆黒の闇のなかで、神輿は静かに総社へと渡っていく。この「闇の渡御」こそが、祭りのもっとも神聖な瞬間である。
この渡御を中心に、8日間にわたる神事が営まれる。
悉平太郎の伝説
この祭りには、ひとつの伝説が寄り添っている。悉平太郎(しっぺいたろう)の物語である。
その昔、見付では、毎年娘を人身御供として怪物に差し出さねばならない習わしが続いていたという。村人の難儀を知った旅の僧が、怪物が「信濃の悉平太郎には知らせるな、悉平太郎が怖い」と恐れているのを聞きつける。悉平太郎とは、信濃・光前寺の犬であった。僧はこの犬を借り受け、見事に怪物を退治する。そして犬を寺に送り届け、礼に大般若経六百巻を書き写して奉納した——そんな物語である。矢奈比賣神社の参道には、今もこの悉平太郎の像が建っている。
裸祭の起源は諸説あり、定かではない。けれど、悉平太郎が怪物を退治したあとの「歓喜の踊り」が、あの鬼踊りの始まりだという言い伝えもある。祭りの熱狂の底に、まちを救った物語が静かに流れているのである。
八日間にわたる、祈りの時間
裸祭というと、あの一夜の熱狂が思い浮かぶ。けれど、実際の祭りは、それだけではない。祭事始に始まり、御斯葉(おしば)下ろし、浜垢離(はまごり)、御池の清祓い、例祭、そして裸祭、還御——と、およそ八日間にわたって営まれる、長い祈りの時間なのである。
たとえば浜垢離は、祭りに参加する氏子たちが、海で心身を清める行事である。華やかな乱舞の前に、こうした地道な禊(みそぎ)が積み重ねられている。祭りとは、見える部分だけではない。その背後に、数えきれない人々の準備と祈りと、暮らしの時間が支えとしてある。その全体が、七百年という長い歳月を超えて受け継がれてきた。
見付天神裸祭をめぐって
- 祭神・舞台
- 矢奈比賣神社(見付天神社)。延喜式にも記された古社。学問の神として知られる。
- 開催
- 旧暦8月10日直前の土・日曜。祭事は8日間にわたる。
- 文化財指定
- 平成12年(2000年)、国の重要無形民俗文化財に指定。
- 伝説
- 悉平太郎(しっぺい太郎)の怪物退治。参道に像が建つ。
- 見どころ
- 腰蓑姿の男衆の練りと鬼踊り、灯火を消した闇のなかの神輿渡御。
受け継ぐ、ということ
祭りは、ただ昔から続いているのではない。毎年、誰かが準備し、誰かが担い、誰かが次の世代へ手渡してきたからこそ、今がある。腰蓑を編む手、神輿を担ぐ肩、子に祭りの作法を教える声——その一つひとつが途切れずに繋がってきたから、七百年という時間が今に届いている。
近年は、疫病の流行で祭りが縮小された年もあった。担い手の確保が難しくなる地域も、全国には少なくない。祭りを受け継ぐということは、当たり前のことではなく、いつの時代も、人の意志によって支えられている営みなのである。見付天神裸祭が、これほどの規模で今も続いていること自体が、このまちの底力であり、ひとつの誇りであると思う。
祭りの夜の熱気も、闇のなかの神輿の静けさも、その場に身を置いた者にしか分からないものがある。けれど、その記憶を書き留め、語り継いでいくことで、祭りはまた次の世代へと渡っていく。古代の国府から、東海道の宿場、そして今に生きる祭りまで——磐田には、足もとに語り継ぐべきものが、まだまだ眠っている。これからも、少しずつ綴っていきたい。