淡海國玉神社と、
遠江の神々が集うまち
旧見付学校を見にきた人は、たいてい校舎ばかりに目をうばわれて、すぐ東どなりにある神社には気づかずに帰っていく。だが、この淡海國玉神社こそ、見付というまちの古さと格を、いちばん静かに物語っている場所かもしれない。鳥居をくぐり、神門をぬけると、緑の芝のひろがる境内に、褐色の社殿が建っている。派手さはない。けれど、ここはかつて、遠江という国の信仰の中心だった。
校舎のとなりの、古い鳥居
淡海國玉神社の創建がいつなのかは、はっきりとはわかっていない。ただ、平安時代の延喜式神名帳――全国の由緒ある神社をまとめた、国の公式の名簿のようなもの――に、その名が記されている。これに載るということは、平安のころにはすでに、国に認められた格式ある神社だったということである。「式内社」と呼ばれる、由緒正しい古社の一つなのだ。
記録をさかのぼると、平安前期の歴史書『日本三代実録』の貞観7年(865年)の条に、遠江国の「淡海石井神」が位を授けられたという記述があり、これがこの神社のことだとされている。今からおよそ千百六十年前、すでにこの社が朝廷に知られた存在だったことになる。もとは岩井原という場所に鎮座していたのが、いつのころか今の見付の地へ遷ってきたとも伝えられているが、その詳しい経緯を伝える文献は、残念ながら残っていない。
主祭神は大国主命。縁結びの神として知られる神である。そして、この神社の珍しいところは、狛犬ならぬ「狛兎(こまうさぎ)」が境内を守っていることだ。大国主命と兎といえば、「因幡の白兎」の神話が思い起こされる。そのゆかりからか、まるい目をした石の兎が、参道の両脇にちょこんと座っている。古社の静けさのなかに、ふっと愛らしさがにじむ。縁結びを願う人がたずねてくるのも、うなずける。
遠江じゅうの神を、ひとつの社で
この神社が、ほかの神社とちがう特別な意味をもつのは、「遠江国の総社」だったからである。総社とは、いったい何か。これを知ると、見付というまちの古い役割が見えてくる。
奈良・平安のころ、都から派遣されてきた国司――今でいう県知事のような役人――には、赴任した国じゅうの主だった神社を、ひとつひとつ参拝してまわるという務めがあった。だが、遠江は広い。国じゅうの神社を巡るのは、たいへんな手間と時間がかかる。そこで、国府の近くに、国じゅうの神々をまとめて勧請した社をつくった。それが総社である。この一社を参れば、国内のすべての神社を参ったのと同じこととされた。いわば、神々の「合同庁舎」のような存在である。
淡海國玉神社が、その遠江国の総社だった。だから、ここには主祭神の大国主命のほかに、遠江じゅうの神社からお迎えした十五柱もの神々が、相殿に祀られている。文字どおり、遠江の神々が一堂に集う場所なのである。そして、ここに総社が置かれたということは、すぐ近くに国府があったということにほかならない。見付が遠江国の中心であったことを、この神社の存在そのものが証している。
少し前に書いた遠江国分寺、府八幡宮、そしてこの淡海國玉神社。寺と社が、見付と中泉のあたりに集まっている。これらはばらばらにあるのではない。すべて、ここが遠江国の政治と信仰の中心だった、その名残なのである。古代から中世へと時代がうつっても、この総社は、まちの精神的な背骨であり続けた。
祭りが結ぶ、二つの社
淡海國玉神社を語るとき、どうしても触れておきたいのが、すぐ近くの見付天神――矢奈比賣神社との関係である。毎年秋、見付天神の祭神が、この淡海國玉神社まで渡御する神事が行われる。これが、国の重要無形民俗文化財に指定されている「見付天神裸祭」である。腰みのをつけた男たちが、夜のまちを練り歩き、社へと向かう。総社であるこの淡海國玉神社は、その祭りの、いわば目的地にあたる。
ふだんは静かなこの境内が、祭りの夜には、たいまつと人いきれと熱気に包まれる。総社という古代の制度から生まれた社が、千年をこえて、今もまちの祭りの中心であり続けている。そのことに、私はいつも不思議な感慨をおぼえる。なお、この神社の御朱印は、隣の見付天神(矢奈比賣神社)で記帳されている。二つの社は、祭りでも、日々の参拝でも、ふかく結びついているのである。裸祭りそのものについては、稿を改めてゆっくり書きたい。
次の世代へ、手渡したいもの
淡海國玉神社は、ただ古い神社なのではない。ここは、見付が遠江国の中心だったことを、「総社」という形で今に伝えている、またとない場所である。国分寺の芝、府八幡宮の楼門、旧見付学校の白い校舎、そしてこの総社。これらをつなげて見たとき、はじめて、このまちが歩んできた千年あまりの時間が立ちあがってくる。
立派な社殿が目を引くわけではない。けれど、ここに「総社」があるという事実そのものが、何より雄弁である。建物の大きさではなく、そこにこめられた意味を読みとること。それが、足もとの歴史を見つめ直すということなのだと思う。
旧見付学校を見にきたら、ぜひ、その東どなりの鳥居もくぐってみてほしい。狛兎にあいさつをして、「ここは昔、遠江じゅうの神さまが集まる、いちばん大事な神社だったんだよ」と、隣にいる人に伝えてみる。見過ごされがちな静かな境内が、急に深い場所に見えてくるかもしれない。次の世代へ残したいのは、そういう「気づくと、まちが違って見えてくる」まなざしなのだと思う。
主な参考
- 淡海國玉神社 公式ウェブサイト(遠江国総社)
- Wikipedia「淡海國玉神社」/『日本三代実録』貞観7年条にもとづく各種神社研究資料
- 磐田市観光協会ほか地域資料(狛兎・総社の由緒について)