磐田物語。遠江・見付のまちの歴史と文化
磐田物語見付天神裸祭【特集】 / 無形文化財としての継承
特集・見付天神裸祭 | 其の四

無形文化財としての継承
── 受け継がれる祭りの現在

見付天神裸祭は、過去の遺産ではない。今も毎年、生きて行われている祭りである。だからこそ、それを「どう守り、どう次へ渡していくか」という、現在進行形の課題がある。国の文化財としての位置づけ、時代とともに変わってきた祭りのかたち、コロナ禍という試練、そして担い手をめぐる悩み。ここでは、受け継がれる祭りの「いま」を見つめたい。

国指定重要無形民俗文化財として

見付天神裸祭は、二〇〇〇年(平成12年)十二月二十七日、国の重要無形民俗文化財に指定された。これは、日本の祭礼のなかでも、特に重要で価値の高いものに与えられる格である。指定にあたっての種別は「風俗習慣」、その保護にあたる団体は「見付天神裸祭保存会」とされている。

文化庁の指定解説は、この祭りを「地元で見付天神と呼ばれる矢奈比賣神社の大祭」とし、西区・西中区・東区・東中区という四つの梯団によって行われること、各梯団に中心となる町があり、二名ずつの年行事が出ることなどを記している。そして、古い祭事の様相をよく残している点が、評価されている。長い歴史のなかで磨かれてきた神事の形が、今もしっかりと受け継がれていること――それこそが、国の宝とされる理由なのである。

指定区分
国指定重要無形民俗文化財
指定年月日
2000年(平成12年)12月27日
種別
風俗習慣
保護団体
見付天神裸祭保存会
公開時期
毎年・旧暦八月十日直前の土曜・日曜

祭りは、変わりながら続いてきた

「古い様相を残す」とはいっても、この祭りがまったく変わらずに続いてきたわけではない。むしろ、時代に合わせて、少しずつ姿を変えながら、受け継がれてきたのである。とりわけ大きな変化があったのが、昭和三十年前後(一九六〇〜六一年ごろ)だった。

かつて、この祭りは夜明け前まで続いていたという。だが、戦後、自動車交通が増え、社会の事情が変わるなかで、深夜一時ごろまでに凝縮されるようになった。また、海での禊である浜垢離も、以前は屋形船で沖へ出て行っていたが、この時期にバスを使う形へと改められた。祭りを取り巻く社会が変われば、祭りの形も変わらざるをえない。大切なのは、変えてよいところと、変えてはならない核心とを見きわめながら、伝えていくことである。民俗学者の谷部真吾も、この一九六〇〜六一年の変化を、祭りと社会状況の関係を考えるうえでの重要な事例として論じている。

昭和30年前後 夜明け前→深夜1時 浜垢離が船→バス 2000年 国の重要無形 民俗文化財に指定 2020-21年 コロナ禍で 規模を縮小 2022年 渡御を再開
見付天神裸祭の継承の歩み。社会の変化に合わせて形を変えつつ、核心の神事を守りながら受け継がれてきた。(公式・学術資料をもとにした略年表)

コロナ禍という試練

近年、この祭りは、これまでにない大きな試練に直面した。新型コロナウイルスの感染拡大である。二〇二〇年と二〇二一年、祭りは大幅な規模縮小を余儀なくされた。浜垢離、裸の練り、神輿の渡御――どれも、人と人とが密に集まることが避けられない神事である。やむなく、これらは中止され、最小限の人数で、祭事始や例祭といった神事のみが、ひっそりと営まれた。何百年と続いてきた祭りが、ほとんど行えない。それは、まちの人々にとって、たいへんな痛みであったにちがいない。

だが、祭りは絶えなかった。二〇二二年、三年ぶりに、矢奈比賣命を淡海國玉神社へお渡しする渡御が再開された。そして、その後、保存会の言葉を借りれば「完全復活」へと至っている。困難な時期にも、核心の神事だけは絶やさずに守り、機を見て本来の形を取り戻す――。この粘り強さこそが、八百年とも伝えられる時を、この祭りが生き抜いてきた力なのだろう。中断と再開を経験したことは、かえって、人々に祭りの大切さを再確認させたのかもしれない。

担い手と、安全と ── 現代の課題

祭りを未来へ渡していくうえで、現実的な課題もある。第一は、担い手の問題である。少子化が進むなか、祭りを支える若い世代をどう確保していくかは、全国の伝統行事に共通する悩みであり、見付天神裸祭も例外ではない。第二は、安全の問題である。腰蓑姿の裸衆が激しくもみ合う祭りであるだけに、過去には傷害をめぐる出来事もあった。そこで保存会は、運営マニュアルを整え、祭りに関わる人をリストバンドで登録する制度を設けたり、境内に安全柵を置いたり、看護師を配置したり、裸衆と観客の動線を分けたりといった、さまざまな対策を講じている。伝統の熱気を保ちながら、現代社会のなかで安全に祭りを続けるための、たゆまぬ工夫である。

そして、希望もある。継承のための取り組みだ。保存会は、地元の小中学生に向けて、出前授業を行ったり、祭りに欠かせない腰蓑づくりのワークショップを開いたりしている。子どもたちが、自分の手で腰蓑を編み、祭りの意味を学ぶ。そうした地道な営みを通じて、祭りへの愛着が、次の世代へと植えられていく。文化財とは、ただ保存するものではなく、生きた人々の手で、たえず受け継がれていくものなのである。

次の世代へ、手渡したいもの

見付天神裸祭は、博物館のガラスケースに収められた、過去の遺物ではない。今を生きる人々が、毎年、汗を流し、身を清め、闇のなかを神輿を担いで渡る――その営みのなかにこそ、この祭りは存在している。国の文化財に指定されたことは、その価値を社会が認めた証だが、本当に祭りを守っているのは、毎年それを担う、まちの一人ひとりである。

変えてよいところは変え、守るべき核心は守り、困難な時にも絶やさず、子どもたちへ手渡していく。この祭りが八百年もの時を生きてきたのは、そうした人々の意志の積み重ねがあったからにほかならない。次の世代へ残したいのは、祭りそのものと同時に、「この祭りを絶やさず受け継いでいこう」という、まちの人々の心そのものなのだと思う。いつか、今これを読んでいる子どもたちが、自分の手で腰蓑を編み、闇のなかで神輿を担ぐ日が来る。そのときも、この祭りは、きっと生きているはずである。

主な参考文献

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