磐田物語。遠江・見付のまちの歴史と文化
磐田物語 / 見付天神と、霊犬悉平太郎のものがたり
祭りと信仰 | 見付天神と裸祭りの記憶

見付天神と、
霊犬悉平太郎のものがたり

磐田の人なら、誰もが知っている。まちを救った一匹の犬の名を。悉平太郎――。見付天神・矢奈比賣神社は、この霊犬の伝説と、夜のまちを練り歩く「裸祭り」で知られる、見付の鎮守である。学問の神様であり、子を守る神様であり、そして怪物退治の犬がねむる社。いくつもの顔をもつこの天神様を、たずねてみたい。
見付天神 矢奈比賣神社 三つの信仰が重なる社 矢奈比賣命 安産・子育て 縁結び 古来の主祭神 菅原道真 学問の神 993年に勧請 「見付の天神様」 悉平太郎 厄除け・災難除け 霊犬神社に祀る まちを救った犬
見付天神には、古来の主祭神・矢奈比賣命、平安に勧請された学問の神・菅原道真、そして伝説の霊犬・悉平太郎という、三つの信仰が重なっている。(信仰の重なりをもとにした模式図)

JR磐田駅から北へ、見付のまちを抜けたつきあたりの高台に、見付天神はある。地元では「見付のお天神様」と親しまれてきた。正式な名は、矢奈比賣神社という。学業向上を願う受験生、安産を祈る家族、そして犬を連れた参拝客――目的のちがう人々が、それぞれの願いを胸に、この社の石段をのぼっていく。

三つの顔をもつ天神様

この神社のおもしろさは、いくつもの信仰が重なり合っているところにある。まず、古くからの主祭神は矢奈比賣命という女神で、安産や子育て、縁結びの神として信仰されてきた。創建の年代ははっきりしないが、延喜式神名帳に名がみえる、由緒ある式内社である。前に書いた淡海國玉神社と同じく、平安のころにはすでに国に認められた古社だったのである。

そこに、もう一柱の神が加わる。学問の神様としておなじみの、菅原道真である。正暦4年(993年)、太宰府天満宮から菅原大神を勧請した。これは東日本ではもっとも早い時期の勧請だったと伝えられる。以来、この社は「見付の天神様」「見付天神」と呼ばれるようになった。今、受験シーズンに合格祈願の人々でにぎわうのは、この道真公をお迎えしたからである。拝殿の前には、天神様の使いである牛の像があり、参拝者がその頭をなでていく。

江戸時代に入ると、慶長8年(1603年)には徳川家康から神領50石が寄進された。見付は東海道の宿場町・見附宿としてにぎわっており、見付天神はその宿場の鎮守とされていた。古代の式内社が、中世・近世を通じて、まちの暮らしの中心であり続けたのである。

まちを救った、一匹の犬

そして、この神社をもっとも有名にしているのが、霊犬・悉平太郎の伝説である。磐田で育った人なら、子どものころに一度は聞かされた話だろう。市のイメージキャラクター「しっぺい」も、この犬がモチーフになっている。少し長くなるが、語り継がれてきた物語を、たどってみたい。

遠い昔、見付の里では、毎年八月になると、どこからともなく「白羽の矢」が飛んできて、ある家の屋根に突き刺さった。矢を立てられた家は、その娘を、柩に入れて見付天神へお供えしなければならない――。そういう悲しいしきたりがあった。娘を失う家の嘆きから、まちの祭りは「泣き祭り」と呼ばれていたという。

あるとき、旅の僧がこの見付を通りかかった。祭りのさなかだというのに、まちは喜びどころか、深い悲しみにつつまれている。わけを尋ねた僧は、人身御供のしきたりを知り、「そのような残酷なことを求める神が、まことの神であるはずがない」と考えた。そして、供物に求められているものの正体を、つきとめようとした。

その夜、僧が物陰からうかがっていると、化け物たちが現れ、こんなことを口々に言い交わしていた。「このことは、信州の悉平太郎には知らせるな」と。化け物が恐れる「悉平太郎」とは、何者か。僧は信州――今の長野県――まで旅をして、ついに光前寺で、悉平太郎という一匹の強い犬を探しあてた。そして、その犬を見付まで連れ帰ったのである。

翌年の祭りの夜、娘の身代わりに、柩のなかには悉平太郎がひそんでいた。深夜、現れたのは、年老いた化け物――いい伝えでは、大きな狒々(ひひ)や猿の妖怪だったとされる。悉平太郎は柩からおどり出て、激しい戦いの末、ついにこれを退治した。だが、悉平太郎自身も深い傷を負い、息絶えたとも、傷つきながら信州へ帰っていったとも伝えられる。こうして見付の里は、長く続いた悲しいしきたりから、ようやく解き放たれたのである。

この伝説は、あくまで語り継がれてきた民話であって、史実そのものではない。じつは、よく似た「猿神退治」の話は各地に伝わっており、犬の名も土地によって異なる。悉平太郎の出身地とされる信州・光前寺では、同じ犬が「早太郎(はやたろう)」と呼ばれている。とはいえ、磐田と信州という遠く離れた二つの土地が、一匹の犬の物語でむすばれているというのは、なんとも心ひかれる話である。今も見付天神の参道には悉平太郎の像が建ち、境内の霊犬神社には、まちを救ったこの犬が、神としてまつられている。

夜のまちを練り歩く、裸祭り

見付天神といえば、もう一つ忘れてはならないのが、秋の大祭「見付天神裸祭」である。国の重要無形民俗文化財に指定された、遠州を代表する祭りだ。腰蓑をつけた男たちが、夜のまちをねり歩き、たいまつの火のなか、拝殿で身をぶつけ合いながら踊り狂う。「鬼踊り」とも呼ばれるその熱気は、ふだんの静かな社の姿からは、想像もつかない。

この祭りでは、見付天神の祭神が、前に書いた淡海國玉神社――遠江国の総社まで渡御する神事が中心となる。二つの社が、この祭りでふかく結びついているのである。かつて娘をささげた「泣き祭り」が、悉平太郎によって救われ、感謝の祭りへと姿を変えた――裸祭りの起こりを、そう語り伝える人もいる。祭りの形のなかに、まちが歩んできた長い時間と、人々の祈りが、幾重にもたたみこまれている。

次の世代へ、手渡したいもの

見付天神は、ただ古い神社なのではない。古来の女神、学問の神、そしてまちを救った霊犬。三つの信仰が一つの社に重なり、そこに裸祭りという生きた祭りが今も続いている。これほど豊かな物語をかかえた場所は、そうそうない。しかも、その物語の多くが、磐田の子どもたちに、口づてで受け継がれてきた。

悉平太郎の話は、教科書に載っているわけではない。けれど、磐田の親は子に語り、その子がまた次の子に語ってきた。そうやって、八百年ちかい時を越えて、一匹の犬の勇気が、今の子どもたちのなかに生きている。これは、なかなかに得がたいことだと思う。建物や文書だけでなく、「語り」もまた、まちの大切な遺産なのである。

受験のときに、子どもと天神様へお参りにいく。その帰り道、参道の悉平太郎の像の前で立ちどまり、まちを救った犬の話をしてやる。そんな小さな受け渡しから、見付の物語はまた、次の世代へと続いていく。次の世代へ残したいのは、社殿や像そのものというより、それにまつわる「物語を語る」という、ささやかな習わしなのだと思う。

主な参考

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