城之崎遺跡
磐田原台地南部に残された、弥生の住まいと古墳の記憶
城之崎遺跡とは何か
城之崎遺跡は、静岡県磐田市西貝塚字西山に所在する。立地は磐田原台地南部、城之崎丘陵の一部で、標高はおおむね海抜14.5mから16m前後である。遺跡の性格は、弥生時代後期の集落跡と、古墳時代後期から終末期の古墳が重なる複合遺跡と整理できる。
発掘の契機は、ヤマハ発動機株式会社の従業員寮建設計画であった。調査は1970年10月19日から12月9日にかけて実施された緊急発掘調査で、当初は城之崎2号墳・3号墳の記録保存が中心であった。しかし調査の過程で、古墳の下層とその周辺から弥生時代後期の竪穴住居跡が確認された。
ここで重要なのは、開発を単純に「悪」と見ることではない。現状保存が困難な状況の中で、記録保存調査によって土地の履歴が残された。城之崎遺跡は、開発と文化財保護が衝突した場所であると同時に、記録によって地域の記憶が引き継がれた場所でもある。
| 所在地 | 静岡県磐田市西貝塚字西山 |
|---|---|
| 地形 | 磐田原台地南部、城之崎丘陵の舌状丘陵上 |
| 標高 | 約14.5mから16m前後 |
| 主な時代 | 弥生時代後期、古墳時代後期から終末期 |
| 主な遺構 | 竪穴住居跡7軒、城之崎2号墳、城之崎3号墳 |
| 調査契機 | 従業員寮建設計画に伴う緊急発掘調査 |
| 調査主体 | 磐田市教育委員会を中心とする調査 |
磐田原台地南部の地形を読む
磐田原台地は、今之浦川やその支流によって開析され、複数の舌状丘陵に分かれる。城之崎丘陵は、低地、沖積平野、旧潟湖に近い高台であり、台地上の安全性と低地の水辺資源を結びつけやすい位置にあった。
弥生集落がなぜ低地ではなく高台に営まれたのかを考えるには、この地形を先に見る必要がある。高地性集落は、防御だけで説明されるものではない。見張り、避難、湿地環境への対応、低地の水田・潟湖・川を利用する生業など、複数の要因が重なった土地利用として読む必要がある。
古墳の封土が弥生集落を守った
城之崎遺跡を読むうえで中心となるのは、古いものを新しいものが守ったという逆説である。丘陵上では自然侵食によって旧表土層が流失していた。しかし、2号墳・3号墳の墳丘直下では、旧表土層や弥生時代の遺構面が保存されていた。
後から築かれた古墳の封土は、本来は古墳の墳丘を構成する土である。ところが結果的には、その封土が弥生時代の住居跡をパックする保護層になった。城之崎遺跡では、古墳時代の墓が、さらに古い弥生時代の生活面を守ったことになる。
弥生時代後期の高地性集落
報告書では、弥生時代後期の竪穴住居跡が7軒確認されている。北群に1号から4号住居跡、南群に5号から7号住居跡があり、土器型式から弥生時代後期後葉、欠山式期に位置づけられる。
住居跡には、柱穴、炉、側溝、入口施設、二段溝などが確認される。4号住居跡は先行する可能性があり、3号住居跡などが後続する可能性が指摘される。ここでは、住居跡の細かな形をただ列挙するのではなく、高台の生活空間がどのように営まれたのかを読むための手がかりとして整理する。
| 住居跡 | 位置 | 形状 | 推定床面積 | 主な特徴 | 本文での扱い |
|---|---|---|---|---|---|
| 1号住居跡 | 北群 | 隅丸方形 | 約15㎡ | 4本柱、平地炉、薄手甕形土器 | 弥生後期集落の基本例 |
| 2号住居跡 | 北群 | 方形 | 約19㎡ | 広口壺形土器、刷毛目壺形土器 | 北群の一例 |
| 3号住居跡 | 北群 | 方形または隅丸方形 | 約23㎡ | 平地炉、壺形土器、台付甕形土器 | 後続住居の可能性 |
| 4号住居跡 | 北群 | 隅丸方形 | 約22㎡ | 二段溝、垂木ピット、土錘 | 先行住居・生業を示す重要遺構 |
| 5号住居跡 | 南群 | 方形 | 約25㎡ | 屋外炉の可能性、壺形土器 | 最大級の住居跡 |
| 6号住居跡 | 南群 | 方形 | 不明 | 入口拡張施設、側溝 | 侵食で一部残存 |
| 7号住居跡 | 南群 | 方形 | 不明 | 隅部のみ残存 | 侵食の影響を示す |
土器と土錘から生活を読む
出土土器には、壺形土器、甕形土器、高坏形土器などが含まれる。壺は貯蔵、甕は煮炊き、高坏は供献や儀礼に関わる器として考えることができる。欠山式土器は、弥生時代後期の年代を考える手がかりである。
特に注目したいのは、4号住居跡から出土した土錘である。土錘は漁網に付ける重りと考えられる遺物で、高台にある集落が低地・水域の生業と結びついていた可能性を示す。城之崎遺跡の弥生集落は、単に「山の上に逃げた集落」と見るだけでは足りない。高台を生活の場としながら、低地の水域を生業の場として利用する、柔軟な土地利用の姿が見えてくる。
城之崎2号墳 - 礫床と鉄製品の古墳
城之崎2号墳は、南北径約13.2m、東西径約12.1m、墳丘高約1.13mの円墳で、6世紀後葉に位置づけられる。周囲には周溝があり、内部主体は横穴式石室状の掘り方を持つが、石室壁は確認されず、礫床を主体とする構造であった。
床面や構造には排水を意識した工夫が見られる。出土遺物には須恵器提瓶、刀子、鉄鏃などがあり、葬送儀礼や副葬品の性格を考える手がかりになる。刀子や鉄鏃の配置については、工具・武器としての意味に加え、辟邪的な意味を持つ可能性も考えられるが、ここでは断定せず、複数の読み取りの一つとして扱う。
| 遺物 | 特徴 | 出土状況 | 読み取り |
|---|---|---|---|
| 須恵器提瓶 | 環状把手、歪みあり | 床面最奥部付近 | 副葬用土器として扱う |
| 刀子 | 複数出土 | 主体部内 | 工具・武器・呪術的配置の可能性 |
| 鉄鏃 | 複数出土 | 奥部付近 | 武器副葬、被葬者像を考える手がかり |
城之崎3号墳 - 二段葺石と装身具の古墳
城之崎3号墳は、2号墳の南西約40mに位置し、南北径約16m、東西径約17.8mの楕円形円墳である。築造時期は7世紀前葉に位置づけられる。大きな特徴は二段葺石で、墳丘を保護するだけでなく、墓域を視覚的に示す役割も持っていたと考えられる。
内部主体は横穴式石室の平面プランを持つ。盗掘を受けているが、須恵器、金銅張り耳環、水晶製勾玉、碧玉製管玉、丸玉・小玉、鉄製品などが確認されている。これらの装身具は、被葬者の地位や、地域社会の階層化を考える手がかりとなる。
| 遺物種別 | 内容 | 意味 |
|---|---|---|
| 須恵器 | 坏蓋、坏身、平瓶、長頸瓶など | 葬送儀礼・外部流通との関係 |
| 耳環 | 金銅張り | 装身具としての威信性 |
| 勾玉 | 水晶製 | 被葬者の地位を示す可能性 |
| 管玉 | 碧玉製 | 装身具群の一部 |
| 鉄製品 | 鉄鏃など | 武器副葬の要素 |
2号墳と3号墳を比較する
2号墳と3号墳の差は、単なる規模の違いではない。埋葬施設、外部施設、副葬品の質が変化しており、古墳時代後期の磐田原台地南部における在地集団の階層化を考える手がかりになる。
| 比較項目 | 城之崎2号墳 | 城之崎3号墳 | 読み取り |
|---|---|---|---|
| 時期 | 6世紀後葉 | 7世紀前葉 | 一世代程度の時間差が想定される |
| 墳丘 | 小型円墳 | やや大きい楕円形円墳 | 規模と造営力の差 |
| 外部施設 | 周溝 | 二段葺石・浅い周溝 | 視覚的な墓域表示の強化 |
| 内部主体 | 礫床中心 | 横穴式石室 | 埋葬施設の発展 |
| 副葬品 | 須恵器、刀子、鉄鏃 | 須恵器、耳環、勾玉、管玉等 | 被葬者層の変化・階層性 |
| 解釈 | 実用性・呪術性が強い | 威信財・労働動員が目立つ | 在地首長層の上昇・再編の可能性 |
周辺遺跡との関係
城之崎2号墳・3号墳は、孤立した古墳ではない。縄文時代には西貝塚など潟湖・貝塚文化との関係があり、弥生時代には二之宮遺跡、鎌田・鍬影遺跡など低地の大規模集落との関係が想定される。古墳時代には松林山古墳、堂山古墳、城之崎丸山古墳など、磐田原台地南部の古墳群の中に置いて読む必要がある。
史実・推定・考察を分ける
城之崎遺跡は魅力的な解釈を誘う遺跡である。しかし、学術HTMLとしては、確認できる事実、資料からの推定、磐田物語としての考察、今後の調査課題を分けておく必要がある。
| 区分 | 内容 | 本文での扱い |
|---|---|---|
| 確認できる事実 | 発掘時期、所在地、検出遺構、出土遺物、墳丘規模など | 報告書に基づいて記す |
| 資料からの推定 | 高地性集落の性格、古墳の築造意図、周辺遺跡との関係 | 断定せず、複数の根拠を示す |
| 磐田物語としての考察 | 開発と記録保存、地域の記憶、土地を見る視点 | 本稿の視点であることを明示する |
| 今後の調査課題 | 現地の現在地確認、周辺地名、追加資料、聞き取り | 未確認事項として残す |
城之崎遺跡から磐田が学べること
城之崎遺跡は、地面の下に複数の時代が重なっていることを教える。いまの土地利用、住宅地、工場、畑、道路の下にも、過去の暮らしが眠っている可能性がある。開発と記録保存は対立するだけではなく、記録を残す契機にもなる。ただし、記録されなければ土地の記憶は失われる。
城之崎遺跡の価値は、珍しい遺物が出たことだけにあるのではない。弥生の住まい、古墳時代の墓、近代以降の開発、そして現在の記録活動が、一つの丘陵上で重なって見えることにある。磐田の土地は、単なる地面ではない。そこには、暮らし、祈り、労働、開発、保存の時間が積み重なっている。城之崎遺跡は、その重なりを読むための重要な入口である。
用語解説
| 用語 | 説明 |
|---|---|
| 高地性集落 | 平地ではなく丘陵上や高台に営まれた集落。防御、環境変化、見張り、避難、生業など複数の要因で説明される。 |
| 竪穴住居跡 | 地面を掘りくぼめて床面を作った住居跡。柱穴、炉、側溝などが確認されることがある。 |
| 欠山式土器 | 弥生時代後期の土器型式の一つ。本文では年代を考える手がかりとして扱う。 |
| 土錘 | 漁網などに付ける重り。城之崎遺跡では低地・水域との関わりを考える重要な遺物。 |
| 周溝 | 古墳の周囲に掘られた溝。墓域の区画や排水などの意味を持つ。 |
| 葺石 | 古墳の斜面や裾に置かれた石。墳丘保護や視覚的表示の役割を持つ。 |
| 横穴式石室 | 横方向から遺体を納める構造を持つ石室。古墳時代後期に広く用いられた。 |
| 威信財 | 社会的地位や権威を示す品物。装身具や特殊な副葬品など。 |
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参考資料・作成方針
本文は、ユーザー提供資料「城之崎遺跡発掘調査報告書」および「城之崎遺跡に関する追加調査」をもとに、確認できる事実、資料からの推定、磐田物語としての考察を分けて再構成した。発掘調査報告書の本文・図版を転載するのではなく、地形・遺構・遺物・周辺遺跡との関係を、磐田の地域史を読むための学術HTMLとして整理した。
- 磐田市教育委員会『城之崎遺跡発掘調査報告書』1978年。
- ユーザー提供資料「城之崎遺跡に関する追加調査」。
- 必要に応じて、全国文化財総覧、磐田市埋蔵文化財関連資料、周辺遺跡の発掘調査報告書等を今後確認する。