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磐田物語福田地区 / 別珍・コールテンと福田の織物産業

福田地区の記憶 第三回 | 暮らし

別珍・コールテンと福田の織物産業 ── 「世界のコーデュロイ」を産んだ職人の技と歩み

日本の別珍(ベルベティーン)・コールテン(コーデュロイ)生産の実に9割以上のシェアを誇る福田地区。明治期の綿織物からの発展と、カッティングや染色に命を吹き込む職人たちの産業史を解明します。

ファッションの街、パリやミラノの高級ブランドの衣服にも使われる上質なコーデュロイ(コールテン)やベルベット(別珍)。その生地のほとんどが、実は静岡県磐田市の「福田地区」でつくられていることをご存知でしょうか。なぜ、この海辺の小さな町が「世界の高級織物の聖地」となったのか。そこには、伝統の「遠州綿紬」から始まった職人たちの飽くなき技術革新の歴史がありました。

本稿の要点
  • 遠州綿紬から世界ブランドへの飛躍:明治時代、伝統的な家庭織物であった「遠州綿紬(えんしゅうめんつむぎ)」の技術をベースに、より付加価値の高い起毛織物(別珍・コールテン)の製造に挑戦しました。
  • 命を吹き込む「パイルカッティング」の神技:織り上げた平らな生地の極小のループ(輪)に針を通し、高速回転する刃で均一に切り開いて美しい畝(うね)を作るカッティング技術は、福田が誇る世界唯一の超絶技巧です。
  • 水資源と職人の分業ネットワーク:太田川の良質な水を利用した「染色・整理(洗い)」のプロセスと、機屋(織元)が緊密に連携する、地域一体の分業システムが競争力の源泉です。

機織りの羽音が響く「遠州綿紬」のルーツ

福田地区を含む遠州地方は、温暖な気候と水はけの良い砂地が広がっていたため、江戸時代から綿花の栽培が極めて盛んでした。農家の女性たちは、自宅の木製織機で衣服用の「遠州綿紬」を織り、これが地域の貴重な収入源となっていました。明治時代に入り、豊田佐吉による動力織機の開発などによって日本の繊維産業が爆発的な近代化を遂げると、福田の織物職人たちは「他所と同じ安い綿布を作っていては生き残れない。より難しく、より美しい高級織物に挑戦しよう」と決意しました。

こうして明治の中期、日本国内ではまだ誰も成功していなかった、独特の光沢と柔らかい肌触りを持つ「別珍(ベルベット)」や、立体的な縦畝を持つ「コールテン(コーデュロイ)」の本格的な研究と製造が始まったのです。

極細の糸を切り開く「カッティング」の超絶技巧

別珍やコールテンの最大の特徴である、ふっくらとした美しい起毛(パイル)は、単に織るだけでは生まれません。織り上がった段階では、生地の表面には無数の極細の糸のループ(輪)が並んでいるだけです。このループの真ん中を、金属製の鋭い針と回転刃を用いて、一本一本正確に「切り開く(カッティング)」ことで、初めて毛羽立ち(パイル)が誕生します。

特にコールテンの畝(うね)を作るカッティングは、コンマ数ミリの狂いも許されない極限の精密作業です。刃の角度、生地を引っ張るテンション、職人の手の感覚。このカッティング技術において、福田の職人たちは世界でも並ぶ者のない圧倒的な精度を誇っています。この特殊な後加工の技術こそが、福田の別珍・コールテンの絶対的な強みなのです。

太田川の水が育んだ染色技術と未来への挑戦

別珍やコールテンを極上の風合いに仕上げるためには、もう一つ重要な要素があります。「水」です。カッティングされた生地は、太田川の水系から得られる豊富な軟水を用いて丁寧に洗浄され、独自の技術で染色(カラーリング)されます。水質が少しでも異なると、起毛が美しく立ち上がらず、色ムラが発生してしまいます。福田の地で繊維産業がこれほど栄えたのは、織る技術、切る技術、と洗って染める技術が、すべて太田川の水と大地の恩恵によってリンクしていたからなのです。

現在、世界の繊維市場は安価な海外産製品に押されていますが、福田のメーカーは、極細の糸を用いた軽量コーデュロイの開発や、オーガニックコットンを用いた環境配慮型製品、さらには欧州のハイブランドとの直接取引などを進め、「高品質・高付加価値」のプレミアムブランドとして、その不滅の職人魂を世界へと発信し続けています。

主な参考資料

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