失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語福田地区福田の年中行事と昔ばなし / 春から初夏へ

福田の民俗と記憶 第3回 | 春・初夏

春から初夏へ
── 農事、寺社、講がつないだ地域共同体

花まつりと若宮まつり、漁師の伊勢参り、苗代籾まきから堀ざらい、苗供え、端午の節句、そして田植えを終えての「さなぶり」へ。福田の春は、農事と信仰が分かちがたく重なる季節であった。

春が深まると、福田の暮らしは田と水路をめぐる共同作業に向かって動き出す。同時に、寺の花まつりや漁師の伊勢参りといった信仰の行事も重なってくる。働くことと祈ることが一つの季節のなかで溶け合う――この回では、福田の春から初夏を、農事・信仰・共同体の三つの糸でたどる。

この回の要点
  • 苗代籾まき・堀ざらい・苗供え・田植え・さなぶりと、稲作の一連の作業が春から初夏の暮らしを組み立てた。
  • 堀ざらいは地区民総出の共同作業であり、用水という共有財を村ぐるみで守る仕組みだった。
  • 漁師の伊勢参りや若宮まつりには、地域を越えた広域の信仰と、海の安全への祈りが表れている。
  • 端午の節句など、子どもの成長を祈る行事も春から初夏に集まっていた。

春は農事と信仰が重なる季節

福田の春は、田の支度から始まる。史実として冊子は、五月上旬に苗代をつくる家が多かったと記す。苗代づくりの前には、虫よけのために山へ「あせび」の葉を摘みに行き、袋に詰めて持ち帰り、苗代の土に踏み込んだという。籾を一週間ほど水に浸して芽を出させ、焼いた籾殻をふりかけて苗の育ちを助けた。中野では、一月の十日祭でいただいた守札を神棚からおろし、田の水口にさして豊作を祈ったとされる。農作業の節目に、必ず信仰が寄り添っているのが福田の春である。

四月八日には、寺で花まつり(灌仏会)が営まれた。花御堂の釈迦像に甘茶をそそぎ、参詣者もその甘茶をいただく。同じ四月八日、南島には若宮まつりがあり、太田川の洪水で犠牲になったと伝えられる「八衛門」の霊を弔った。この八衛門の物語は、第6ページ「昔ばなしと語りの文化」でもあらためて取り上げる。

春から初夏の農事・信仰タイムライン 3月4月5月6月7月 農事 堀ざらい苗代籾まき田植え・苗供えさなぶり 信仰 春の彼岸花まつり・若宮まつり端午の節句伊勢参り(漁師) 共同・暮らし 農休み・苗虫とり(子どもの手伝い)骨休め
春から初夏の農事・信仰・暮らしの行事を時期順にならべた模式図。冊子の記述をもとに磐田物語が独自に作図した。月日は目安であり、年や地区により前後する。

苗、田、川、堀をめぐる共同作業

稲作は、一軒の家だけでは完結しない。水をどう引き、どう分けるかは、村全体の問題である。史実として冊子は、四月から五月の初めにかけて、田に水を引く前に地区民総出で堀ざらい(用水の掃除)をしたと記す。蛭池をはじめとする稲作の中心地区では、いまも続けているところがあるという。用水路がコンクリートで整えられた現在でも、堀ざらいは欠かせない作業だと冊子は述べている。

田植えは六月中旬ごろから始まった。植えはじめの日には、初苗を一束家に持ち帰り、神棚の「恵比須様」に供える苗供えのならわしがあったという。この苗は家にいちばん近い田に植えたり、枯れると地の神に納める家もあったとされる。田に下ろす一束の苗にまで祈りを込めるところに、米づくりへの真剣さがにじむ。

下の図は、家・田畑・寺社・水路の関係を抽象化したものである。家の神棚から田へ、田から用水路へ、そして寺社へと、祈りと労働が円を描いてつながっていた。

家・田畑・寺社・水路の関係模式図 神棚・恵比須様 寺社 花まつり・氏神 田畑 苗代・田植え 水路(堀) 用水・堀ざらい 苗供え・参詣 豊作祈願 水を引く 田の神
家・田畑・寺社・水路(堀)の関係を示す模式図。福田の春の行事は、この四つの場をめぐって循環していた。磐田物語が冊子の記述をもとに独自に作図した。

伊勢参り・若宮まつりに見る広域信仰

福田の信仰は、村のなかだけにとどまらなかった。史実として冊子は、漁師の家では漁の始まる四月上旬に良い日を選び、潮加減を見計らって福田の港を出発し、夕方に鳥羽の港へ着いて一泊、翌朝に伊勢神宮へ参詣したと記す。土産には焙烙鍋や生姜糖、女性や子どもには絵日傘が喜ばれたという。船を新造したときには、操業の安全と豊漁を祈って必ず参拝した。伊勢参りは、信仰と旅の楽しみを兼ねた、漁師にとって欠かせない行事だったのである。

考察海で生きる人びとにとって、安全と豊漁の祈りは生死に直結する切実なものだった。だからこそ、遠く伊勢まで足を運んだ。村の氏神への祈りと、伊勢という国家的な聖地への参詣とが、一人の漁師のなかで矛盾なく重なっていた点に、福田の信仰の広がりが見える。

子どもの成長を祈る行事

春から初夏には、子どもの成長を願う行事も重なる。五月五日の端午の節句では、鯉のぼりをあげて男児の成長を祝い、餅をつき、軒下に蓬と菖蒲をさした。翌六日の朝には菖蒲を風呂に入れ、入ると病気をしないといわれた。小島方地区では、真菰の葉でくるんだ粽をつくって氏神に供えたのち、各戸へ二個ずつ配り、子どもの成長を祝う行事が古くから行われていたという。

農繁期には、子どもたちも働き手だった。冊子は、戦前・戦後の忙しい時期に、学校の子どもたちが子守りや草とり、お茶運び、苗運び、田植えの手伝いに汗を流した農休みのことを記す。さらに苗虫とりでは、授業を午前で切り上げ、通学区ごとに苗代田をまわって害虫の卵を集めたという。汗を流すことで勤労の尊さを体で覚える――そんな学びの場でもあった。これらは農業の機械化とともに姿を消した。

農村共同体としての福田

田植えが終わると、さなぶりが来る。史実として冊子は、役場の用務員が打つ「さなぶり太鼓」の音が風に乗って聞こえると、各農家が一斉に農作業を休んだと記す。手伝いに来た人へ赤飯を配り、家族も数日ごちそうをして骨を休めた。嫁はさなぶりを利用して里へ帰り、子どもも小遣いをもらって楽しい一時を過ごしたという。このさなぶり太鼓は、現在は郷土資料館に展示されていると冊子は伝える。

考察堀ざらいで始まり、さなぶりで一区切りつく福田の初夏は、共同作業と休息がワンセットになっていた。きつい労働を村ぐるみで分かち合い、終われば村ぐるみで休む。農村共同体としての福田の姿が、ここにもっともよく表れている。そして季節は、先祖と生者が向き合う「夏と盆」へと進んでいく。

継続状況についてさなぶりや苗虫とり、農休みのように、農業の機械化・省力化とともにすでに姿を消した行事も多い。堀ざらいなど一部は現在も続くが、地区差がある。各家・各地区での記憶をお寄せいただけると、記録がより確かなものになる。

主な参考資料・出典

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