失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語福田地区福田の年中行事と昔ばなし / 夏と盆

福田の民俗と記憶 第4回 | 夏・盆

夏と盆
── 供養、水辺、家の記憶

盆の迎え火から精霊流しまで、先祖を迎えて送る数日間。そして、川や海で亡くなった人を弔う川施餓鬼、災厄を除ける夏の行事。福田の夏は、先祖と生者が静かに向き合う季節であった。

夏は、にぎやかな季節であると同時に、もっとも死者に近づく季節でもある。盆には先祖の霊が家へ帰り、川や海では水死した人の霊が弔われる。福田の夏の行事をたどることは、この地に生きた人びとが、亡き人とどう向き合ってきたかをたどることでもある。観光の話題としてではなく、地域の祈りとして、静かに読み進めたい。

この回の要点
  • 盆は、迎え火で先祖を迎え、数日を共にし、精霊流し(送り)で見送る、家の記憶をめぐる行事だった。
  • 川施餓鬼や施餓鬼は、縁者のない霊や水死者を弔う供養であり、海と川に生きた福田らしい行事である。
  • 夏の土用には、潮を浴びて体を鍛える「丑浜」が営まれる一方、水難の犠牲も絶えず、安全への祈りが重ねられた。
  • 延命地蔵尊祭や百万遍など、子どもや老人が担う供養の行事も夏に集まっていた。

夏は先祖と生者が向き合う季節

盆の中心は、家に帰ってくる先祖の霊を迎え、もてなし、送り出すことにある。史実として冊子は、八月十三日の夕方から十六日までを盆とし、十三日に墓を掃除して霊を迎える準備をしたと記す。真菰や茅でゴザを編み、茄子や瓜で牛をつくって精霊の乗りものとし、ホオズキやとうもろこしを竹に吊るして精霊棚を設けた。夕方には墓前で迎え火をたき、家の門前と庭でも火をたいて霊を迎えたという。とくに初盆の家では、門口までの道に百八か所の松明をたいて迎えたとされる。

盆のあいだの食事も、一日ごとに細かく定められていた。冊子は、十四日の朝はぬき菜のみそ汁、昼はぼたもち、夕方はかぼちゃと油揚、十五日の朝は七色汁……と、献立を具体的に記している。素焼きの小皿に盛り、麻の木の箸を添えて供えたという。家ごとに受け継がれたこうした作法の一つひとつが、先祖と過ごす数日を形づくっていた。

盆行事と家の記憶

盆は、家の記憶がもっとも濃く立ちのぼる時間でもある。新しく亡くなった人を迎える初盆には、ふだんの盆とは異なる手厚い作法があった。送りの精霊流しは八月十六日とされ、精霊棚を片付けて川へ流しに行った(現在は焼却することが多い)。牛には穴あき銭を背負わせ、帰りにみやげを買うためと伝えられたという、ささやかな言い伝えも冊子は書きとめている。墓に帰った仏に花と線香と水をたむけて、盆は静かに終わる。下の図に、福田の盆の流れを示す。

福田の盆行事の流れ 13日 墓掃除・迎え火 14・15日 精霊棚・供膳 16日 送りだんご・精霊流し 以降 虫送り・墓参
福田の盆行事の流れ(迎え→もてなし→送り)の模式図。冊子の記述をもとに磐田物語が独自に作図した。日取り・作法は地区や家により異なる。

水辺の暮らしと供養

海と川に生きる福田では、水にまつわる供養が欠かせなかった。史実として冊子は、土用のころに川や海で水死した人の霊を祀る川施餓鬼が行われたと記す。念仏を唱えながら舟で川を下り、地区に建てられた地蔵尊の前で、その年に事故が起こらないよう祈願したという。婦人会の役員らが集まり、水死した人の遺族とともに身の安全を祈り、僧侶から授かった弘法大師の札を手に海辺へ行って、自らの穢れを水に流して将来の安全を祈った。

八月上旬のお施餓鬼(寺施餓鬼)は、祀る縁者のない霊(無縁仏)や餓鬼を供養する行事である。施餓鬼の祭壇を設け、如来の名を記した五色の旗を立てて読経供養をした。考察自分の家の先祖だけでなく、弔う者のない霊や、水に呑まれた人びとまでをも供養する。そこには、誰一人として忘れられてはならないという、海辺の村の倫理が息づいている。

この回を読むにあたってこのページで扱う行事の多くは、亡くなった人を悼み、災いを避けるための祈りである。冊子は、毎年のように水難の犠牲者が出たことも率直に記している。にぎやかな夏祭りの背後にあった、こうした祈りと悲しみの記憶も含めて、地域の夏として受け止めたい。

七夕・夏祭り・共同体のにぎわい

もちろん、夏には人びとが集い、笑い合う時間もあった。八月七日の七夕祭りでは、前日の夕方に竹を切り出し、当日の早朝、畑の里芋の葉に溜まった露で墨をすって、五色の短冊に願いごとを書いて笹竹に飾ったという。机の上には赤飯や西瓜、メロン、とうもろこし、茄子などを供え、子どもの成長を願った。八日の早朝、笹竹は近くの川に流された。

七月十四日の弁天様の祭りは、中野・白山神社の境内にある弁天様の祭礼で、青年たちが飾りつけを担い、夕方からは露店が並んで賑わった。地区の子どもによる角力(相撲)大会は古くからの伝統行事で、子どもたちはこの日を心待ちにしたという。海と川の安全を祈る切実な行事の合間に、こうした晴れやかな一日があったことも、福田の夏の大切な一面である。

災厄除けとしての夏の行事

夏は疫病や災いが流行る季節でもあり、それを除けるための行事が各地に伝わった。史実として冊子は、土用の丑の日に浜へ出て潮を浴び、皮膚を丈夫にする丑浜を記す。近郷近在から多くの人が押し寄せ、海辺で遊び、新鮮な魚を求めて賑わった。一方で、毎年のように海水の犠牲者が出たため、消防団・青年団・漁師・PTAらが巡視に真剣にあたったという。小学校でも、夏休み前に全校児童が海辺に集まり、先生やPTAの指導のもとで夏の健康と安全を願った。

盆が終わると、施餓鬼でいただいた五色の旗を田の畔にさして虫害や災害を避ける虫送りが行われた。八月二十三日の大原・延命地蔵尊祭、二十四日の中野・延命地蔵尊祭では、地蔵の前に集まって供養し、子どもたちに供物が分けられた。同じ二十四日、南田では老人たちが大きな数珠をまわして念仏を唱える百万遍が営まれ、戦没者の慰霊も行われたという。考察こうして福田の夏は、先祖供養に始まり、地蔵や無縁仏の供養に至るまで、何重もの祈りで満たされていた。やがて季節は、収穫と感謝の「秋から冬」へと移っていく。

主な参考資料・出典

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