失われる前に、磐田の記憶を記録し、次の世代へ手渡す
磐田物語中世の磐田と仏教文化特集 / 中世の墓制と石造物
中世の磐田と仏教文化特集 | 子ページ

中世の墓制と石造物
── 一の谷遺跡が語る祈り

立派な伽藍や社殿だけが、中世の信仰ではない。地面に近いところ――墓のかたわらに立てられた小さな石塔にも、人々の祈りはしるされている。見付で発掘された中世の大規模な墓域・一の谷(いちのや)遺跡と、そこに通じる五輪塔・宝篋印塔・板碑といった石造物から、中世の磐田に生きた人々の死と供養のかたちを読む。念仏が庶民へと広がった時代を、もっとも地に近い視点から照らす一篇である。

1一の谷遺跡 ── 死者たちの語る中世

見付の一帯では、中世の大規模な墓域である一の谷(いちのや)遺跡が発掘されている。事実そこからは、おびただしい数の墓が見つかり、当時の人々がどのように死者を葬り、供養したのかが明らかになった。中世都市・見付の繁栄を、いわば「死者の側」から照らし出す、たいへん貴重な遺跡である。

生きた人々の暮らしの跡が消えやすいのに対し、墓は地中に長く残る。推定墓のかたち、副葬されたもの、墓が営まれた範囲や時期――そうした手がかりから、研究者は中世の社会のありようを読み取っていく。どんな身分の人がどこに葬られたのか、供養はどのように行われたのか。一の谷遺跡は、文献にはあらわれない庶民の生と死を、静かに物語っている。遺跡の発掘の経緯や、なぜここが墓域となったのかといった詳細は、関連記事でくわしく読める。

2石に刻まれた祈り ── 五輪塔・宝篋印塔・板碑

中世の墓や供養の場に立てられたのが、石造物(せきぞうぶつ)である。その代表が、五輪塔・宝篋印塔・板碑の三つだ。推定いずれも、死者を供養し、その魂の安らぎと、残された者の現世・来世の安楽を願って造られたものである。

五輪塔(ごりんとう)は、下から方形・円形・三角形・半月形・宝珠形の五つの石を積み、地・水・火・風・空という仏教でいう万物の構成要素(五大)を表したものとされる。宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、もとは宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)という経をおさめて供養するための塔で、四角い塔身に独特の屋根をのせた姿をもつ。板碑(いたび)は、板状にととのえた石に、仏をあらわす種子(しゅじ=梵字)や年号、供養の文言などを刻んだ供養の碑である。事実これらの石造物は、磐田をふくむ各地の中世の墓地や寺院跡に数多く残されている。

五輪塔 地・水・火・風・空 宝篋印塔 経をおさめ供養する塔 種子 板碑 板石に梵字や年号を刻む
中世を代表する石造物、五輪塔・宝篋印塔・板碑の形のちがいを示した模式図。形状をやさしく示すための図であり、寸法・細部の意匠は正確ではない。WEB説明用に新規作成した図で、実測図ではない。

3庶民にひらかれた、来世への願い

これらの石造物が広まったことには、大きな意味がある。推定古代において、手厚い供養や立派な墓は、貴族や高僧など、ごく限られた人々のものだった。ところが中世になると、武士や有力な農民、商人といった人々までもが、五輪塔や板碑を建てて死者を供養するようになる。背景には、念仏ひとつで救われると説く浄土の教えや時宗などが、庶民へと広く行きわたったことがある。

石に刻まれた素朴な祈りは、「誰もが仏の救いにあずかれる」という中世の信仰の広がりを、何よりよく物語っている。事実一の谷遺跡のような中世の墓域や、各地に残る石塔は、その時代を生きたふつうの人々が、確かに祈り、弔われていたことの証である。名は残らなくとも、ひとつひとつの石が、ひとりの人の生と死を背負っている。中世の仏教文化とは、壮大な伽藍だけでなく、こうした地に近い祈りの積み重ねでもあったのである。

4足もとの祈りに、目をこらす

五輪塔や宝篋印塔、板碑は、いまも寺の境内の片隅や、古い墓地、辻のかたわらなどに、ひっそりと残っていることがある。推定苔むして角の丸くなった石塔は、見落とされがちだが、その一つひとつが数百年の時間を抱いている。中世の人々が、何を願い、どのように死者を送ったのか――それを知って眺めれば、ただの古い石が、祈りのかたちとして立ちあがってくる。

歴史は、立派な建物や有名な人物だけのものではない。地面の下に眠る墓域、苔むした石塔といった、地に近いものにこそ、ふつうの人々の暮らしと祈りが刻まれている。足もとに目をこらすこと――それが、中世の磐田を知るための、もっとも確かな入口なのである。

参考文献・参考資料

本記事は、上記資料を参考にしつつ、磐田物語の編集方針に基づいて独自に再構成したものである。本文・写真・図面の転載は行っていない。石造物の形状・意味や中世の墓制についての説明は一般的な概説に基づくものであり、個別の石塔・遺構を断定的に説明するものではない。掲載図版はWEB説明用に新規作成した模式図で、実測図ではない。

運営者より

足もとの記憶を、次へ

古い墓地や石塔は、ふつうの人々の祈りが刻まれた、地域の大切な記憶です。土地には、登記簿だけでは分からないこうした履歴が積み重なっています。

磐田物語の運営者である富士ヶ丘サービスでは、先祖から受け継いだ墓地・土地・空き家について、売る・買うだけでなく、どう守り、どう整理し、どう次へ手渡すかという視点からも相談を受けています。

あわせて読みたい

← 中世都市・見付と寺院 特集トップへ戻る →

この地域の家・土地・空き家について

古い地名や集落の成り立ちを調べていると、 家や土地には、登記簿だけでは分からない地域の記憶が残っていることがあります。

相続した家、空き家、使わなくなった土地について、 「売る・貸す・残す」の前に、一度整理して考えたい方は、 富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。

この記事について

著者
大石浩之(富士ヶ丘サービス株式会社 代表取締役/磐田物語 運営者)
参考資料
佐口行正氏所蔵資料、磐田市・静岡県等の公開資料、現地確認、郷土史関連資料を参考にしています。記事ごとに主要な参考資料がある場合は、個別に追記してください。
作成方針
本記事は、資料の文章をそのまま転載するのではなく、史実・地名・地理・時代背景を確認しながら、読みやすい地域史コンテンツとして再構成しています。誤りや補足情報がある場合は、運営者までお知らせください。