遠江国府はどこにあったのか
── 古代遠江の政治の中心をめぐって
この特集では、国府とは何か、遠江国府はいまの磐田のどこにあったと考えられているのか、総社や府八幡宮とどう結びついていたのか、そして国府のその後までを、史実と推定を分けながらたどる。わからないことの多い主題だからこそ、わかっていることと推測とを、ていねいに見分けていきたい。
この特集で読めること
- そもそも国府とは何か
- 遠江国府はどこにあったのか ── 確定していない所在地
- 国府を取り巻いた施設 ── 総社・府八幡宮・国分寺
- 「見付」という地名が語るもの
- 国府の終わりと、その後の中心
- いま、国府の記憶を歩く
1そもそも国府とは何か
国府(こくふ)とは、古代の律令制のもとで、ひとつの国を治めるために置かれた役所、およびその役所を中心とする一帯のことである。事実奈良・平安の時代、全国はおよそ六十余りの国に分けられ、それぞれに都から国司(こくし)と呼ばれる役人が派遣された。国司が政務を執った中心の役所を国衙(こくが)といい、その周囲に役人の館や倉、関連する施設が集まって、ひとつの行政都市のような空間をかたちづくっていた。それらをひろくまとめて「国府」と呼ぶ。
遠江国(とおとうみのくに=現在の静岡県西部、遠州)の国府も、当然どこかに置かれていた。事実そして、その場所が現在の磐田市域にあったこと自体は、まず動かない。国分寺がこの地に営まれたこと、国の主だった神々を祀る総社がここに鎮座すること、「府」を名にもつ府八幡宮があること――そのすべてが、遠江国の中枢がこの磐田にあったことを前提にしている。問題は、その「役所そのもの」が、磐田のどこに建っていたのか、ということなのである。
2遠江国府はどこにあったのか ── 確定していない所在地
遠江国府の最大の謎は、その所在地である。国分寺跡のように、発掘によって「ここだ」と確定された場所が、国府についてはまだ定まっていない。推定研究者のあいだでも、主に二つの候補地が挙げられてきた。
ひとつは、御殿・二之宮遺跡(ごてん・にのみやいせき)である。事実JR磐田駅の南に近い中泉のこの遺跡からは、奈良時代の土器・石器・木製品などが大量に出土し、文字を墨で書いた墨書土器なども見つかっている。古代の大規模な建物の跡も確認されており、役所のような格式のある施設が営まれていた可能性が高い。こうした出土品から、初期の遠江国府はこの御殿・二之宮遺跡にあったのではないか、と考えられている。
もうひとつの候補は、遠江国分寺跡の北側、現在の磐田北小学校から大見寺のあたり一帯である。推定国府は国分寺の近くに置かれるのが通例であり、また総社である淡海國玉神社が見付にあることから、見付の一帯に国府があったとする見方も根強い。さらに、初めは中泉の御殿・二之宮遺跡のあたりに置かれた国府が、のちに見付の方へ移った、とする移転説もある。
いずれにせよ、決定的な証拠はまだ得られていない。「遠江国府はここにあった」と一点を指し示すことは、現時点ではできないのである。けれども、わからないからといって価値が下がるわけではない。むしろ、足もとのどこかに古代遠江の中心が眠っているという事実そのものが、この土地の奥行きを物語っている。
3国府を取り巻いた施設 ── 総社・府八幡宮・国分寺
役所そのものの跡は定まらないが、その国府を取り巻いていた施設は、いまも確かにこの地に残っている。それらをたどることで、国府の輪郭をうかびあがらせることができる。
まず、総社(そうじゃ)である。事実磐田市見付に鎮座する淡海國玉神社(おうみくにたまじんじゃ)は、遠江国の総社とされる。総社とは、その国の主だった神々をまとめて祀る社で、都から赴任してきた国司が、まず参拝することになっていた。国内の神社を一社ずつ巡るかわりに総社へ参れば足りるよう、国府の近くに設けられるのが通例だった。総社が見付にあること自体が、国府の中枢がこの一帯にあったことの有力な手がかりとされている。
次に、府八幡宮(ふはちまんぐう)である。事実磐田市中泉に鎮座するこの社は、その名に「府」の字をもつ。伝承社伝によれば、天武天皇の曾孫にあたる桜井王(さくらいおう)が遠江国司として赴任した際、国府の中に勧請したことに始まると伝えられる。「府の八幡」という名は、まさに国府とともにあった社であることを今に伝えている。
そして、遠江国分寺・国分尼寺である。事実国分寺建立の詔は、寺を国府の近くの良い土地に営むよう求めていた。遠江国分寺が現在の磐田に置かれたのは、ここに国府があったからにほかならない。役所(国府)・社(総社・府八幡宮)・寺(国分寺・国分尼寺)という、統治と信仰の主要な装置が、台地とその周辺に密に集まっていた。国府は、それらの中心にあった「かなめ」だったのである。
4「見付」という地名が語るもの
遠江国府を考えるとき、見のがせないのが「見付(みつけ)」という地名である。推定この地名は「みつけの府」、すなわち国府にちなむとする説が古くから語られてきた。地名の由来には諸説あり断定はできないが、いずれにせよ見付という名は、ここがかつて遠江国の中心、国府のまちであったという記憶と深く結びついている。
のちに東海道の宿場として栄える見付宿(みつけしゅく)も、もとをたどれば、この国府のまちを母体としている。古代に役所が置かれ、人と物が集まった場所が、中世・近世には街道のまちとして受け継がれていった。地名は、土地の履歴書のようなものである。「見付」という二文字のなかに、千三百年あまり前の国府の記憶が、いまも畳み込まれているのである。
5国府の終わりと、その後の中心
国府は、永遠に役所でありつづけたわけではない。事実平安時代の後半になると、律令制そのものがしだいにゆるみ、国司が現地に赴任せず都にとどまる例も増えていった。やがて武士の世が訪れると、国を治める仕組みは大きく変わり、古代的な国府は役割を終えていく。役所の建物は失われ、その正確な場所さえ、いつしかわからなくなっていった。
けれども、この一帯が「遠江の中心」であった性格は、形を変えながら受け継がれた。事実中世には東海道の見付宿がにぎわい、戦国から近世にかけては、徳川家康がこの地に中泉御殿(なかいずみごてん)を築いた。その御殿が営まれたのが、ほかならぬ御殿・二之宮遺跡――古代国府の有力候補地とされる、まさにその場所だった。古代に国の役所が置かれた(かもしれない)土地が、千年近くを経て、ふたたび天下人の拠点に選ばれたのである。
土地のもつ地理的な重み――交通の要であり、政治の中心にふさわしい場所であるという性格は、時代をこえて人を引きつける。事実現在、磐田市役所が国分寺跡のすぐ近くに置かれているのも、その延長線上にあるといってよい。古代の国府から現代の市役所まで、行政の中心はこの一帯から大きく離れることがなかったのである。
6いま、国府の記憶を歩く
目に見える「国府跡」という建物はない。だが、国府を取り巻いた施設をたどれば、古代遠江の中心を体で感じることができる。事実御殿・二之宮遺跡は御殿遺跡公園として保存され、府八幡宮の杜は中泉の街なかにいまも深い緑をたたえている。見付に足をのばせば、総社・淡海國玉神社が静かに鎮座し、その北には特別史跡・遠江国分寺跡が広がる。
これらを地図の上で結んでみると、それほど広くない範囲に、国の主要な装置が集まっていたことがわかる。どこかに必ず、役所=国府があった。その一点はまだ特定できなくても、まちを歩きながら「このあたりに古代遠江の中心があったのだ」と想像することはできる。わからないことを、わからないまま大切に抱えて歩く――それもまた、歴史を楽しむひとつのかたちである。
あわせて読みたい関連ページ
遠江国府は、国分寺・総社・府八幡宮・遺跡といった、磐田の古代をめぐる主題と分かちがたく結びついている。気になるところから読み進めてほしい。
歴史ある土地を、どう受け継ぐか
遠江国府の所在地が定まらないのは、役所の建物が失われ、地中に痕跡だけを残して時が流れたからである。土地は、面積や価格だけでできているのではない。そこには、人が住み、働き、政務を執り、祈り、世代を重ねてきた時間が積もっている。足もとに古代の中心が眠っているかもしれないと知って歩けば、なんでもない街なみが、にわかに奥行きをもって見えてくる。古い土地や建物は、地域の記憶を次の世代へ手渡すための器でもある。
運営者より
磐田の土地を、次へどう渡すか
土地や建物には、価格だけでは測れない時間が積み重なっています。遠江国府を知ることは、磐田という土地の奥行きを知ることでもあります。
磐田物語の運営者である富士ヶ丘サービスでは、磐田で受け継がれてきた住まいや土地について、売る・買うだけでなく、どう残し、どう住み継ぎ、どう手放すかという視点からも相談を受けています。住まいと土地を考えるとき、その背景にある時間も一緒に見つめてみませんか。
参考文献・参考資料
- 磐田市公式ウェブサイト「遠江国分寺跡」(国府・国分尼寺の解説を含む)
- 磐田市観光協会「御殿遺跡公園」「遠江国分寺跡」「遠江国はじまりの地」
- 淡海國玉神社(遠江国総社)由緒
- 府八幡宮 由緒(桜井王による勧請の伝承)
- 御殿・二之宮遺跡 発掘調査の概要(奈良時代の遺構・出土品)
- 『遠州中泉古城記』にもとづく中泉御殿の記述
- 国指定文化財等データベース/日本歴史地名大系
- 制作者による現地確認・追加調査メモ
本記事は、上記資料を参考にしつつ、磐田物語の編集方針に基づいて独自に再構成したものである。本文・写真・図面の転載は行っていない。掲載図版は、WEB説明用として新規に作成した模式図であり、実測図ではない。国府の所在地については定説がなく、本文では事実・推定・伝承を区別して記している。
あわせて読みたい
この地域の家・土地・空き家について
古い地名や集落の成り立ちを調べていると、 家や土地には、登記簿だけでは分からない地域の記憶が残っていることがあります。
相続した家、空き家、使わなくなった土地について、 「売る・貸す・残す」の前に、一度整理して考えたい方は、 富士ヶ丘サービス株式会社までご相談ください。