天竜川が太平洋と出会う河口部は、潮の満ち引きによって海水と淡水が絶妙に混ざり合う「汽水域(きすいき)」を形成しています。この豊かな環境は、冬の深夜に黒潮に乗って遡上してくるウナギの稚魚「シラスウナギ」の格好の捕獲場であり、遠州の豊かなウナギ食文化と養殖業を底辺から支えてきた極めて重要な産業の現場です。
- 汽水域が育む奇跡の生態系:天竜川が運ぶ山の栄養素と、黒潮の海の栄養素が交わる河口部は、シラスウナギをはじめとする無数の水産資源の宝庫です。
- 闇夜を照らす伝統の掬い漁:冬から早春の深夜、漁師たちは小舟に乗り、川面をサーチライトで照らしながら、極小の網を使って手作業でシラスウナギを掬い上げます。
- 浜名湖・遠州養殖業の絶対的供給源:ここで獲れたシラスウナギは、浜名湖や磐田平野の養殖池へと送られ、高品質な日本の養殖ウナギブランドの絶対的な土台となりました。
淡水と海水が交わる豊かな汽水域の生態系
天竜川の河口は、単に川が終わる場所ではありません。信州の深い山々から運ばれてきた有機物と、太平洋の巨大な潮流がせめぎ合い、日本でも有数の肥沃な汽水域(エチュアリ)を作り上げています。このエリアは、プランクトンが爆発的に発生するため、多くの魚介類が産卵し、稚魚が育つ「生命のゆりかご」となっています。
そのなかでも特別な存在が、ウナギの稚魚である「シラスウナギ」です。マリアナ海溝付近で生まれ、海流に乗ってはるばる数千キロを旅してきた透明なシラスウナギは、冬の寒さに乗じて、天竜川を登ろうと河口に集まってくるのです。
暗闇の川面を照らす伝統のシラスウナギ掬い漁
シラスウナギ漁は、毎年十二月から翌年三月にかけての、極寒の深夜に行われます。漁のタイミングは、潮が満ちてくる「満潮」の前後です。新月の闇夜、天竜川河口の川面には、ポツポツと明るい光が灯り始めます。これは、小舟の船首に取り付けられた集魚灯の光です。
シラスウナギは光に集まる習性があります。漁師たちは、冷たい強風に耐えながら、光のなかに浮かび上がる、細い糸のように透明なシラスウナギ(体長約六センチメートル)を、繊細な手杁網(たもあみ)で素早く、かつ慎重に掬い上げます。指先が凍えるような過酷な状況のなかで、一匹ずつ手作業で集めるこの漁法は、熟練の直感と集中力を要する職人技です。
遠州のウナギ養殖を支えた稚魚供給の役割
こうして天竜川河口で獲れたシラスウナギは、ただちに近隣の浜名湖周辺や、磐田市内の養殖農家へと買い取られていきました。ウナギは現代の科学技術でも「完全人工養殖」の商業化が極めて難しく、養殖を営むためには、野生のシラスウナギを捕獲して育てるしかありません。
つまり、天竜川河口のシラスウナギ漁こそが、静岡県を「日本のウナギの代名詞」へと押し上げた真の源流だったのです。河口の厳しい自然と対峙し、深夜の冷たい水面を見つめ続けてきた竜洋の漁師たちの歩みは、地域の食文化と水産業の発展に計り知れない貢献を果たしました。