遠江・見付のまちの歴史と文化
磐田物語まちの成り立ち / 匂坂・寺谷・岩田【解説】

連載 まちの成り立ち 第七回 | 旧磐田市の記憶

匂坂・寺谷・岩田
── 台地のへりに並ぶ村々の地形読み

磐田原台地の東のへりには、匂坂(さぎさか)・寺谷・岩田といった村々が並んでいた。なぜ「匂坂」を“さぎさか”と読むのか。岩田村と市の名「磐田」はどう違うのか。本記事では、岩田地区の村々を地形・沿革・難読地名の三面から、事実・解釈・推測を分けて解説する。

磐田原台地(高い土地) 台地のへり 東の低地(田・流れ) 匂坂 寺谷 岩田 高い台地と低い土地の境目に、水と道を求めて村が立った
図:磐田原台地の東のへり(崖線)に沿って、匂坂・寺谷・岩田の村々が並ぶようすの概念図。

この記事の要点

岩田地区とは

岩田地区いわたちく

現在の磐田市の地区区分のひとつ。旧・岩田村にあたり、匂坂上・匂坂中・匂坂新・寺谷・寺谷新田などの大字を含む。磐田原台地の東のへりから東側の低地にかけて広がる。

磐田市の市域は、中央を南北にのびる磐田原台地と、その周囲の低地から成る。台地の西は中泉・天竜川方面の低地、南は見付・今之浦の低地に向かって落ちていく。本記事が扱う岩田地区は、台地の東のへりにあたる。事実として、ここは高い台地と低い土地が接する境目であり、その地形の段差が村の立地を強く方向づけた。

岩田地区の村々――匂坂(さぎさか)・寺谷・岩田――は、いずれも独立した村として江戸時代の村高帳に記録され、明治以降の合併を経て、現在は磐田市の大字・地区名として住所に残っている。村と地名の成り立ちは、第一回「村が町になるまで」で扱った旧磐田市全体の枠組みのなかに位置づけられる。

磐田市の地区は、もとになった旧村ごとにまとめられていることが多い。見付地区・中泉地区・西貝地区・御厨地区などと並んで、岩田地区もその一つである。事実として、これらの地区名は単なる行政上の便宜ではなく、合併以前にそこにあった村のまとまりをほぼそのまま受け継いでいる。つまり「岩田地区」という呼び名そのものが、かつて岩田村があったことの証しになっている。地名は、行政区画が変わっても容易には消えず、地区名や大字という形で土地に残り続ける。岩田地区を歩くことは、消えたはずの旧村の輪郭をたどり直すことでもある。

「台地のへり」という立地

岩田地区を理解する鍵は、地形にある。まず、繰り返し出てくる二つの言葉を定義しておく。

磐田原台地いわたはらだいち

磐田市の中央部を南北にのびる、平らで高い土地(洪積台地)。周囲の低地より一段高く、水を得にくい一方で水害に強い。見付・国府台などの市街地はこの台地の縁に発達した。

台地のへりだいちのへり(崖線・段丘崖)

台地が低地へと落ちる、段差の縁。「崖線(がいせん)」「段丘崖」とも呼ぶ。崖の下からは水(湧き水や浅い地下水)が得やすく、上は乾いて見晴らしがきく。古くから人が住み、道や村が並びやすい地形である。

台地そのものは平らで広いが、水が乏しい。逆に低地は水が豊かだが、増水時には浸かりやすい。解釈になるが、村が「台地のへり」に並んだのは、この二つの土地の長所を同時に得るための、合理的な選択だったと考えられる。へりの下では水が確保でき、へりの上は災害に強く、台地上の畑と低地の田の双方に手が届く。匂坂・寺谷・岩田の村々が崖線に沿って点々と並ぶ配置は、こうした地形条件の反映と見てよい。

高い土地は乾いて安全、低い土地は水が豊か。その境目こそ、人が暮らしを立てやすい場所だった。台地のへりは、地図に引かれた古い暮らしの線である。

岩田地区の旧村と現在の地名

岩田地区に含まれる旧村・小字と、現在の大字の対応を整理する。事実として、これらの名はいずれも現在の磐田市の住所のなかに生き残っている。

表1:岩田地区の旧村・小字と、現在の主な地名
名称読み区分・由来の手がかり現在
匂坂上さぎさか かみ匂坂の村が上・中・新に分かれたうちの一つ。台地寄り(上手)。磐田市 匂坂上
匂坂中さぎさか なか匂坂の中ほどにあたる村。磐田市 匂坂中
匂坂新さぎさか しん「新」は新田開発由来とみられる集落。江戸期の開発の名残。磐田市 匂坂新
寺谷てらだに/てらや谷地形+寺院に由来する地名と考えられる(諸説)。磐田市 寺谷
寺谷新田てらだに しんでん寺谷から開かれた新田。「新田」は江戸期の開発を示す(第六回参照)。磐田市 寺谷新田

「匂坂」が上・中・新の三つに分かれ、「寺谷」に「寺谷新田」が付随する点に注目したい。解釈になるが、これは一つの村が人口の増加や新田開発によって枝分かれしていった跡と読める。とくに「新」「新田」の名がつく集落は、江戸時代の開発で生まれた可能性が高い。新田と地名の関係は、第六回「『新田』と名のつく土地」でくわしく扱っている。

なお読みについては、寺谷を「てらだに」とするか「てらや」とするか、資料や時代で揺れがある。これは推測の域を出ないが、地元での通称と公的表記が一致しないまま併存してきた可能性がある。確定には地元での聞き取りと一次史料の照合を要する。

難読地名「匂坂(さぎさか)」を読む

岩田地区でもっとも目を引くのが、「匂坂」という地名である。漢字だけを見れば「においざか」「こうさか」とでも読みたくなるが、地元では“さぎさか”と読む。県外の人がまず読めない、典型的な難読地名のひとつである。

匂坂さぎさか

磐田市東部の地名。匂坂上・匂坂中・匂坂新に分かれる。「匂」の字を“さぎ”と読ませる珍しい例で、読みの由来には複数の説がある。中世にはこの地を本拠とした在地の武士「匂坂氏」の名でも知られる。

なぜ「匂」を“さぎ”と読むのか。これは推測の域を出ないが、いくつかの方向性が語られている。第一に、もともと「鷺(さぎ)」など別の漢字や音があった地名に、後から「匂」の字が当てられたとする説。地名は音が先にあり、文字はあとから当て字されることが多い。第二に、古い読み癖や方言的な音変化が、文字と読みのずれとして固定したとする見方。いずれも決め手を欠き、確定はしていない。

大切なのは、難読であること自体が地名の古さを示す手がかりだという点である。解釈になるが、文字と読みが大きくずれている地名ほど、文字表記が定まるより前から土地に根づいていた可能性が高い。日本の地名の多くは、まず音(よび名)が土地に生まれ、文字はあとから当てはめられた。音と文字がきれいに対応していれば素直に読めるが、対応がずれているものは、当て字の過程で読みと文字が分かれたまま固定したと考えられる。「匂坂」は、まさにそうしたずれが残った地名であり、磐田の地名の層の厚さを物語る一例といえる。地名一般の成り立ちについては、親サイトの「磐田の地名」もあわせて参照されたい。

在地領主「匂坂氏」

在地領主ざいちりょうしゅ

中世に、その土地に根を張って支配した武士・領主のこと。荘園の管理者や地頭などから成長し、地名をそのまま名字とすることが多かった。「匂坂氏」「向笠氏」のように、地名=武士の名となる例が各地に見られる。

事実として、中世にはこの匂坂を本拠とした「匂坂氏」と呼ばれる在地の武士が史料に現れる。地名を名字とした在地領主の一例であり、地名が人の名となり、その人がまた土地の歴史を刻んでいくという、地域史によくある循環を示している。

関連して、この地には「匂坂城」と伝えられる中世の城(館)があったとも言われる。ただしその所在地や規模、築城の時期については諸説あり、確定的な比定はできていない。中世の小規模な城館は文献記録が乏しく、現地の地形痕跡と伝承から推定するほかない場合が多い。匂坂城についても、資料上は名が確認できるが、詳細は今後の調査を要するというのが正確なところである。これは推測の域を出ないが、台地のへりという防御に適した地形は、中世の館を構えるのにふさわしい立地であったとは言える。

岩田村と「磐田」── 似て非なる二つの名

この地区で最も誤解されやすいのが、「岩田」と市の名「磐田」の関係である。読みはどちらも“いわた”だが、由来は別系統であり、両者を混同しないことが地域史を読むうえで重要になる。

岩田村いわたむら

磐田原台地東縁の旧村。匂坂・寺谷などの村が明治の町村制で合併して成立した。1956年(昭和31)に磐田市へ編入され、現在の岩田地区となった。市域の一地区の名であって、市全体の名「磐田」とは由来が異なる。

磐田いわた(市名)

市の名としての「磐田」は、もとは郡の名「磐田郡」に由来する。1940年(昭和15)に見付町・中泉町などが合併して磐田町が成立した際に町名として採られ、1948年(昭和23)に磐田市となった。

事実として、市の名「磐田」は郡名(磐田郡)から来ており、見付・中泉を中心に成立した町・市の名である。一方の「岩田村」は、その後の1956年に市へ編入された一地区の旧村名である。文字も「磐」と「岩」で異なる。解釈になるが、同じ“いわた”の音をもつ二つの名が市内に併存している状況は、地名の由来をたどるうえで紛らわしく、しばしば混同のもとになる。岩田村は「磐田市の岩田地区」であって、「磐田の語源」ではない、と整理しておくと理解しやすい。

表2:岩田地区の沿革(おもな節目)
できごと
江戸期匂坂上・匂坂中・匂坂新・寺谷・寺谷新田などが、それぞれ独立した村として村高帳に記録される。
1889(明治22)町村制施行。匂坂・寺谷などの村が合併し、岩田村が成立(村名の成立はこの前後)。
1948(昭和23)見付・中泉などが磐田町を経て磐田市となる(岩田村はまだ市外)。
1956(昭和31)岩田村が磐田市へ編入。匂坂上・匂坂中・匂坂新・寺谷・寺谷新田が市の大字となる。
2005(平成17)磐田市が竜洋・福田・豊田・豊岡の各町村と合併し、現在の磐田市が発足。

表2のとおり、岩田村が磐田市の一部になったのは、市制施行(1948年)から数年後の1956年である。事実として、岩田村は磐田市の成立そのものには関わっておらず、後から編入された村だった。この前後関係を押さえると、「磐田」と「岩田」が別ものであることが、より明確に見えてくる。市全体の合併の流れは第一回「村が町になるまで」に、より広い磐田郡の広がりは第十回「磐田郡という広がり」にまとめている。

地形が決めた村のかたち

最後に、地形と村の立地の対応を、もう一段ふみこんで整理する。台地のへりに村が並んだのは偶然ではなく、水・道・畑・田という暮らしの要素を一つの場所で満たせたからだと考えられる。

表3:台地のへりという立地の特徴(解釈を含む)
地形の区分性質暮らしへの意味
台地の上平らで高い。水が乏しいが乾いて水害に強い。畑・屋敷地・見晴らし。災害に強い住まい。
台地のへり(崖線)段差の縁。崖下から水が得やすい。村・道が並ぶ。集落の中心線。
東の低地低く水が豊か。増水時は浸かりやすい。水田。豊かだが水害のリスク。

解釈になるが、匂坂上・匂坂中・匂坂新と並ぶ「上・中・新」の枝分かれも、このへりの線に沿って集落が伸びていった結果と読める。台地のへりという一本の線の上に、村が数珠つなぎに並んでいったのである。地形を先に読んでから古地図を見ると、村の配置の理由が腑に落ちる。古地図と村名の読み合わせは、第九回「古地図に村の名を探す」で具体的に扱う。

「寺谷」という地名も、地形を映している可能性がある。これは推測の域を出ないが、「谷(たに・や)」は台地に刻まれた小さな谷地形を指すことが多く、その谷あいに寺院があったことから「寺谷」と呼ばれたとも考えられる。台地のへりには、雨水が削った浅い谷がいくつも入り込み、その谷筋もまた水と平地を得やすい場所だった。匂坂が崖線そのものに沿う村だとすれば、寺谷は台地に切れ込む谷に開けた村と見ることもできる。同じ「台地のへり」といっても、崖の縁と谷の奥とでは地形のなりたちが少しずつ異なり、それが村ごとの性格の違いにもつながったと考えられる。いずれも断定はできないが、地名を地形の記録として読む手がかりにはなる。

こうした台地と低地の境目の土地は、現代の暮らしにも影を落とす。台地のへりは高低差があり、土地によっては接道や地盤、擁壁の状態が一様でない。相続や空き家の整理で台地と低地の境の土地を扱うときは、こうした地形条件を一度確認しておくと判断がしやすい。

「事実・解釈・推測」を分けて読む

この記事で扱った事柄を、確かさの度合いで整理しておく。地域史は、断定できることと諸説あることを分けて読むと、見通しがよくなる。

三つの区別(本記事の場合)

よくある疑問(FAQ)

Q「匂坂」はなぜ“さぎさか”と読むのですか。

難読地名で、読みの由来には諸説あります。「匂」を“さぎ”と読ませる珍しい例で、もともと別の漢字や音があった地名に後から「匂」の字を当てたとする説や、古い読み癖が固定したとする見方があります。決め手となる定説はなく、確定はしていません。文字と読みのずれは、地名の古さを示す手がかりとも考えられます。

Q「岩田村」と市の名「磐田」は同じものですか。

別ものです。市の名「磐田」は郡名(磐田郡)に由来し、見付・中泉などが1940年に磐田町、1948年に磐田市となったときの名です。一方「岩田村」は磐田原台地の東縁の旧村で、1956年に磐田市へ編入された一地区の名です。文字も「磐」と「岩」で異なり、読みが同じ“いわた”のため混同されやすいだけです。

Q「匂坂城」とはどんな城ですか。

中世にこの地にあったと伝えられる城(館)ですが、詳細は未確定です。匂坂を本拠とした在地武士「匂坂氏」と関わるとみられますが、所在地・規模・築城時期については諸説あり、確定的な比定はできていません。中世の小規模な城館は記録が乏しく、地形痕跡と伝承から推定するほかない場合が多いのが実情です。

Q匂坂が「上・中・新」に分かれているのはなぜですか。

一つの村が枝分かれした跡と考えられます。もとの匂坂の村が、人口の増加や新田開発によって匂坂上・匂坂中・匂坂新に分かれていったと解釈できます。とくに「新」のつく集落は江戸期の新田開発に由来する可能性が高く、寺谷に対する「寺谷新田」も同じ仕組みです。台地のへりの線に沿って集落が伸びた結果とも読めます。

Q「台地のへり」の土地で気をつけることはありますか。

高低差にともなう条件を確認しておくと安心です。台地と低地の境目は高低差があり、土地によって接道の状況、地盤、擁壁(土留め)の状態などが一様ではありません。相続や空き家の整理でこうした土地を扱う際は、地形条件を一度確かめておくと判断がしやすくなります。

もっと知るための手がかり

調べる場所
磐田市立図書館(『磐田市誌』、角川『日本地名大辞典22 静岡県』ほか地域資料を所蔵)。難読地名・在地武士は地名辞典・郷土史が手がかり。
地図で見る
国土地理院の地形図・色別標高図で、磐田原台地の崖線(へり)の位置を現在の集落と重ねられる。
関連記事
第一回・村が町になるまで第六回・新田の地名第十回・磐田郡磐田の地名

主な参考

連載の目次へ 第六回 「新田」と名のつく土地 第八回 国府台と府八幡宮 磐田の地名をたどる