遠江・見付のまちの歴史と文化
磐田物語まちの成り立ち / 磐田郡という広がり【解説】

連載 まちの成り立ち 第十回 | 旧磐田市の記憶

磐田郡という広がり
── 旧磐田市の外側にあった村々

いまの磐田市は「磐田郡」という大きな枠組みのなかで育った。本記事では、1896年の郡再編で磐田郡がどう生まれ、向笠・御厨・大藤・長野・田原・於保などの村が昭和30年前後にどのように磐田市へ編入されていったのかを、用語の定義・年表・対応表で解説する。

旧四郡 → 新・磐田郡 → 磐田市 磐田郡 山名郡 長上郡 豊田郡の一部 磐田郡 1896年〜 磐田市 1948〜 向笠 御厨 大藤 長野 田原・於保… 郡という器の中で、村は市へとまとまっていった
図:旧四郡が1896年に統合されて新しい磐田郡となり、その中の村々が昭和に磐田市へ編入されていく流れ(概念図)。

この記事の要点

「磐田郡」とは何だったのか

磐田市の住所には、現在「郡」の文字は付かない。しかし市が成立する以前、この地域はずっと「磐田郡」という大きな枠組みのなかにあった。本記事は、その郡という器がどう形づくられ、そのなかの村々がどのように市へまとまっていったのかを整理するものである。

ぐん

市町村より一つ上にある地域の区分。古代の律令制で国の下に置かれた行政単位に由来し、近代では府県と市町村のあいだの区画として用いられた。現在の日本では、郡は「町村が所在する地域名」を示すだけの呼称になっており、郡そのものに役所や独自の行政権限はない。

事実として、「磐田」という呼び名は、もともと市の名でも町の名でもなく、この郡の名であった。律令時代の遠江国には、敷智(ふち)・浜名・長上・豊田・山名・磐田・周智・山香・引佐・麁玉(あらたま)といった郡が置かれ、そのひとつが「磐田郡」だったとされる。解釈になるが、1940年に見付町・中泉町などが合併して「磐田町」と名のったのも、それらの町がともに磐田郡に属していたことが大きい。郡の名が、まず町の名となり、やがて市の名へと受け継がれたのである。

このあたりの「村が町になり、町が市になる」流れそのものは、第一回・村が町になるまでで扱った。本記事はその「外側」、すなわち市街地を取り囲んでいた郡部の村々に光をあてる。

古代の郡から近代の郡へ

同じ「磐田郡」という名でも、古代のそれと近代のそれは中身が大きく違う。まず時代ごとの性格を区別しておきたい。

律令制の郡

古代、国の下に置かれた行政・徴税の単位。郡ごとに郡家(ぐうけ・郡衙)と呼ばれる役所が置かれ、郡司が地域を治めた。遠江国の磐田郡は、国府・国分寺が置かれた一帯を含む、国の中心に近い郡だったと考えられている。

古代の郡は長い年月のあいだに実態が薄れ、中世・近世には「郡」はおもに地域を呼ぶ地理的な名として残った。江戸時代の村は郡ごとにまとめて把握され、郷帳(ごうちょう)や旧高旧領取調帳でも村は所属の郡とともに記録されている。たとえば中泉はもともと豊田郡、見付は磐田郡に属していた。村の所属郡については第九回・古地図に村の名を探すでも触れている。

近代に入ると、郡はふたたび行政の単位として整えられていく。明治の地方制度のなかで、郡は府県と市町村をつなぐ中間の区画として位置づけ直された。ここから、現在につながる「磐田郡」の姿が形づくられていく。

1889年の町村制 ── 村がまとまり、郡に属する

近代の郡を語る前に、その内側で起きた村の再編を押さえておきたい。1889年(明治22年)の町村制である。

町村制ちょうそんせい

1888年(明治21年)に公布され、1889年に施行された地方制度。それまで数多く存在した小さな村(江戸以来の自然村)を合併して、一定の規模をもつ「町」「村」を新たに編成した。この合併でできた町村が、近代の基礎的な自治体となった。

事実として、1889年の町村制によって、旧磐田市域でも見附宿が見付町に、豊田郡中泉町と山名郡二ノ宮村が合併して中泉町になった。同じころ、市街地の外側でも多くの自然村がまとめられ、向笠村・御厨村・大藤村・長野村・田原村・於保村といった、後に磐田市へ編入される村々の輪郭がこのときに定まっている。

解釈になるが、町村制は「村を消した」のではなく「村を束ねた」制度だった。たとえば向笠村は笠梅・篠原・向笠西などの旧村を、長野村は長須賀・鮫島・草崎などの旧村を、それぞれ一つの自治体としてまとめたものである。この束ねられた単位が、半世紀あまりのちに磐田市へ編入されるときの「一区切り」となり、いまの「○○地区」に受け継がれている。これらの村々の地形的な並び方は第七回・匂坂・寺谷・岩田でも読み解いた。

1896年の郡再編 ── 新しい磐田郡が生まれる

町村制から七年後、郡そのものの大きな組み替えが行われた。これが現在の「磐田郡」を生んだ画期である。

郡制ぐんせい

1890年(明治23年)に公布された、郡を地方自治体として位置づける法律。郡会・郡参事会などの議決機関と、郡長を長とする郡役所を置き、郡を一つの行政単位として運営した。施行に先立ち、規模の小さい郡を統合する郡の再編(廃置)が各地で行われた。

事実として、静岡県では1896年(明治29年)4月1日に郡の再編が実施された。遠江地方の小さな郡が統合され、このときに旧・磐田郡へ、山名郡・長上郡・豊田郡の一部が合わせられて、新しい「磐田郡」が編成された。この再編によって、中泉町の所属も豊田郡から磐田郡へと移っている。見付(もとから磐田郡)と中泉(もと豊田郡)が、同じ郡のなかに収まったのは、この1896年のことであった。

表1:1896年(明治29年)の郡再編 ── 新・磐田郡に統合された主な郡
もとの郡よみおおよその範囲・特徴再編後
磐田郡いわたぐん見付・国府一帯。国府・国分寺を含む古代以来の中心。新郡名の母体。新・磐田郡
(1896.4.1〜)
山名郡やまなぐん二ノ宮・福田方面など。一部の村が磐田郡へ。
長上郡ながのかみぐん天竜川西寄りの一帯。一部の村が磐田郡へ。
豊田郡(一部)とよだぐん中泉・豊田方面。中泉町を含む一部が磐田郡へ編入。

これは資料間で範囲の記述に揺れのある点だが、旧四郡のすべてがそっくり磐田郡に入ったわけではなく、山名・長上・豊田の各郡はそれぞれ一部が磐田郡へ、残りは別の郡(周智郡・浜名郡など)へ振り分けられている。郡の境界の正確な引き直しについては、町村ごとの所属を確かめる必要があり、今後の調査を要する。

郡役所ぐんやくしょ

郡を統括する役所。郡長が置かれ、町村を監督し、府県と町村のあいだの事務を担った。磐田郡の郡役所は、行政の中心であった中泉に置かれた。

解釈になるが、郡役所が宿場の見付ではなく、代官所の系譜をひく中泉に置かれたことは象徴的である。古代・近世に中心だった見付に対し、近代の行政と鉄道の拠点となったのは中泉だった。第二回・中泉御殿のあった町で見たとおり、中泉は天領を治めた行政の町としての性格を、近代にも引き継いでいたのである。

郡という枠組みが整ったことで、市街地の見付・中泉と、その外側に広がる農村部とが、はじめて一つの行政のまとまりとして結ばれた。解釈になるが、向笠や御厨、長野といった村々は、それまで宿場や代官所と直接の上下関係をもたない別個の村だったが、磐田郡という共通の器に入ったことで、のちの市への編入を準備する素地ができたと考えられる。郡は、ばらばらだった村々を「同じ地域」として束ねる、最初の広域のまとまりだったのである。

郡はなぜ姿を消したのか

こうして整えられた近代の郡だが、その自治体としての歴史は長くは続かなかった。

事実として、郡制は1921年(大正10年)に廃止が決まり、1923年(大正12年)に郡会などの郡の自治体としての機能が廃止された。さらに1926年(大正15年)には郡役所も廃止され、郡長の職もなくなった。これ以降、郡は役所も議会も持たない、単なる「地理的な区域の名」になった。

いまの「郡」

現在の郡は行政機関ではなく、町村の所在地を示す呼称にすぎない。「○○県△△郡□□町」のように住所の一部として使われるが、郡が独自に税を集めたり条例を定めたりすることはない。市になった地域には郡名が付かないため、市が増えるほど郡の範囲は縮んでいく。

解釈になるが、磐田郡が「広がり」として実感されにくくなったのは、二つの動きが重なったためである。一つは、郡そのものが行政の器でなくなったこと。もう一つは、その器のなかから磐田市が独立し、さらに周囲の村を次々と編入して、郡の範囲を内側から削っていったことである。市が大きくなるほど、磐田郡は小さくなっていった。

昭和の編入合併 ── 郡の村が市に入る

1948年(昭和23年)に磐田市が成立したあとも、市の周囲にはなお磐田郡の村々が残っていた。それらが市へ加わるのが、昭和30年前後の編入合併である。

編入合併へんにゅうがっぺい

既存の市町村が、隣接する別の市町村を取り込む形の合併。取り込む側(この場合は磐田市)はそのまま存続し、取り込まれる側の村は消滅して市の一部となる。対等の立場で新しい自治体をつくる「新設合併」とは区別される。昭和30年前後に全国で進んだ市町村合併(いわゆる昭和の大合併)の多くは、この編入の形をとった。

事実として、1955年(昭和30年)から1957年(昭和32年)にかけて、大藤村・向笠村・御厨村・南御厨村・長野村・岩田村・田原村、そして於保村の一部が、磐田市へ順次編入された。これにより、それまで「磐田郡○○村」だった土地が「磐田市○○」へと変わっていった。郡部の村が市域に取り込まれるたびに、磐田郡は範囲を狭めていったのである。

表2:昭和の編入年表 ── 磐田市へ編入された旧村と現在の地区(1955〜57)
編入の時期編入された旧村現在のおもな地区現在に残る主な地名(例)
昭和30年前後
(1955〜57)
大藤村
(おおふじむら)
大藤地区大久保・藤上原・平松
同上向笠村
(むかさむら)
向笠地区笠梅・篠原・向笠西・向笠竹之内・向笠新屋
同上御厨村
(みくりやむら)
御厨地区鎌田・新貝・稗原・東貝塚・大立野
同上南御厨村
(みなみみくりやむら)
南御厨地区新出・東新町・東新屋・東脇・和口
同上長野村
(ながのむら)
長野地区長須賀・鮫島・草崎・小島・真光寺・前野
同上岩田村
(いわたむら)
岩田地区匂坂上・匂坂中・匂坂新・寺谷
同上田原村
(たはらむら)
田原地区玉越・西島・彦島・三ケ野・明ケ島
同上(一部)於保村
(おぼむら)
於保地区大和田・下大之郷・浜部
1896 郡再編 新・磐田郡 1923–26 郡制廃止 郡役所廃止 1948 磐田市 誕生 郡から独立 1955–57 周辺の村を 編入 2005 郡域ほぼ 消滅へ 郡が生まれ、行政の器でなくなり、村が市に吸われていく
図:磐田郡をめぐる主な節目。郡の編成から、行政機能の廃止、市による編入までの流れ。

郡という器は、まず行政の中身を失い、つぎに村を一つずつ市へ明け渡していった。残ったのは、住所の「地区名」のなかに息づく旧村の輪郭である。

解釈になるが、編入された村々は、市街地の見付・中泉から見れば「外側」にあった農村だった。しかし、それぞれが鎌田神明宮(御厨)、行興寺の藤(向笠)、台地のへりに刻まれた条里や匂坂の地割(岩田)など、固有の歴史を抱えている。御厨という地名そのものが伊勢神宮領の名残であることは第十一回・鎌田御厨で詳しく扱う。市に編入されても、これらの村の記憶は地名のなかに残り続けている。

「磐田郡」はいまどこにあるか

では、磐田郡という呼び名は現在まったく失われたのか。事実として、2005年(平成17年)の合併で竜洋町・福田町・豊田町・豊岡村が新・磐田市に加わり、旧磐田郡に属していた町村の大部分が市域に入った。これにより磐田郡の範囲は大きく縮んでいる。

事実として、現在も磐田郡の名は残っており、郡内には町村が所在している。ただしその範囲はかつてと比べて非常に狭い。郡は、町村が市に変わるたびに範囲を失っていく性質をもつため、磐田郡もまた、磐田市・袋井市などの拡大とともに縮小してきた。これは推測の域を出ないが、今後さらに合併が進めば、磐田郡という呼称は地図上からほとんど見えなくなっていく可能性がある。

三つの区別(本記事の場合)

編入から半世紀以上が過ぎても、大藤・向笠・御厨・長野・田原・於保といった旧村の名は「地区」として人々の意識に残っている。地縁や寄り合い、土地への愛着の単位として、旧村意識はいまも土地に根を張っている。古い家の相続や空き家の管理を考えるとき、登記の字名や地区のまとまりに、この旧村の輪郭が顔を出すことがある。

よくある疑問(FAQ)

Qそもそも「郡」とは何ですか。

市町村より一つ上の地域区分です。古代の律令制では国の下に置かれた行政単位で、郡役所と郡司が地域を治めました。近代には府県と市町村のあいだの区画となりましたが、大正期に行政機関としては廃止され、現在は「町村が所在する地域の名」として住所に残るだけになっています。

Qいまの「磐田郡」はいつできたのですか。

1896年(明治29年)の郡再編です。古代以来の磐田郡を母体に、山名郡・長上郡・豊田郡の一部を統合して、新しい磐田郡が編成されました。このとき、もと豊田郡だった中泉町も磐田郡へ移り、見付と中泉が同じ郡に収まりました。なお「磐田」という名そのものは、古代の郡名にさかのぼります。

Qなぜ郡はなくなっていったのですか。

二つの理由があります。一つは、郡制が大正期(1923〜26年)に廃止され、郡が役所も議会も持たない単なる地域名になったこと。もう一つは、磐田市が成立して周囲の村を次々と編入し、郡の範囲を内側から削っていったことです。市が広がるほど、郡の領域は狭くなります。

Q編入された村は、今どの地区になっていますか。

「○○地区」として残っています。大藤村は大藤地区、向笠村は向笠地区、御厨村は御厨地区、長野村は長野地区、岩田村は岩田地区、田原村は田原地区、於保村は於保地区、というように、旧村名がそのまま地区名や大字名に引き継がれました(表2参照)。

Q「磐田郡」は今も存在しますか。

名は残っていますが、範囲はごく狭くなっています。昭和の編入と2005年の合併で、旧磐田郡の多くの町村が磐田市などに入ったため、現在の磐田郡の領域はかつてと比べて大幅に縮小しています。郡は町村が市になるたびに範囲を失う性質があり、今後さらに縮む可能性があります。

もっと知るための手がかり

調べる場所
磐田市立図書館(『磐田市誌』『静岡県市町村合併誌』、角川『日本地名大辞典22 静岡県』ほか地域資料を所蔵)。
地図で見る
国土地理院の旧版地形図で、編入前の「磐田郡○○村」表記や旧村界を現在の地区と重ねて確認できる。
関連記事
第一回・村が町になるまで第十一回・鎌田御厨磐田の地名

主な参考

連載の目次へ 第十一回 鎌田御厨 第一回 村が町になるまで 磐田の地名をたどる