遠江・見付のまちの歴史と文化
磐田物語まちの成り立ち / 鎌田御厨【解説】

連載 まちの成り立ち 第十一回(最終回) | 旧磐田市の記憶

鎌田御厨
── 伊勢神宮領だった村の名残

磐田市南部の「御厨(みくりや)」という地名は、中世に伊勢神宮の神領であった「鎌田御厨」にさかのぼる。本記事では、御厨とは何か、神領のしくみ、鎌田神明宮、御厨地区(鎌田・新貝・稗原・東貝塚)の旧村と現在の地名、御厨村から1955年の磐田市編入までを、定義・年表・対応表で解説する。連載「まちの成り立ち」の最終回である。

伊勢神宮 (伊勢国) 神領を寄進 鎌田御厨 鎌田・新貝・稗原・東貝塚 磐田市 御厨地区 神領 → 村 → 地区
図:伊勢神宮の神領「鎌田御厨」が、鎌田・新貝・稗原・東貝塚の村を経て、現在の磐田市御厨地区へと続く流れ(概念図)。

この記事の要点

「御厨」という地名の正体

磐田市の南部、東海道本線の御厨駅(2020年開業)の周辺一帯は「御厨地区」と呼ばれる。聞き慣れない人には読みづらいこの地名は、「みくりや」と読む。事実として、これは全国に点在する地名で、その多くが中世の神社の所領――とりわけ伊勢神宮の神領――にさかのぼる。磐田の御厨も、その一つである。

御厨みくりや

「厨(くりや)」は台所のこと。御厨は本来、神に供える食物(贄=にえ)を調える神聖な台所を意味した。やがて、その供物や年貢を生み出す土地そのもの――すなわち神社に属する所領を指す語となった。伊勢神宮の御厨が全国に広く設けられたため、地名としての「御厨」は伊勢神領であった土地に多い。

この記事では、磐田の「御厨」がどのような土地であったか、その名がどう村名・地区名へ受け継がれたかを、地名と神社、そして近代の合併の三つの面から整理する。連載「まちの成り立ち」を締めくくる回として、地名が時間をまたいで残るしくみを、もう一度確かめておきたい。

鎌田御厨とは ── 伊勢神宮の遠江神領

磐田に置かれた伊勢神宮の神領を、史料は「鎌田御厨(かまだのみくりや)」と呼ぶ。事実として、遠江国には伊勢神宮に関係する御厨・御園がいくつか存在し、鎌田御厨はそのうち磐田原台地の南、天竜川左岸の低地に営まれた神領であったと考えられている。

神領(御厨・御園)しんりょう(みくりや・みその)

神社が領有し、その経営から得た物資・収入を祭祀にあてた所領。伊勢神宮の場合、農産物(米など)を主に納める所領を御厨、野菜・果実や塩・海産物など畑作・特産を主とする所領を御園(みその)と呼び分けることが多い。いずれも「神に捧げるものを生む土地」という性格を持つ。

御厨は、寄進や開発によって成立した。地方の有力者(在地領主)が自らの開発地を神宮に寄進し、その見返りに名目上の保護や免税的な特権を得る――そうしたしくみのなかで、各地に伊勢の神領が広がった。解釈になるが、鎌田御厨もこうした中世的な寄進・保護の関係のもとで成立したと見るのが自然である。ただし、成立の正確な年代や寄進の経緯を一次史料で細部まで確定することは難しく、これは今後の調査を要する点である

にえ

神に供える食物。とくに伊勢神宮では、各地の御厨から米・塩・魚介などが「神饌(しんせん)」として納められた。御厨という地名の根には、この「神への捧げもの」という観念がある。

事実として、伊勢神宮の所領の概要は、神宮側が中世に作成・書写した所領の台帳類(神領目録のたぐい)に名を残す。遠江国の御厨・御園もこうした記録に挙げられる。鎌田御厨もその系譜に位置づけられるが、その規模や四至(しいし=境界)を厳密に復原できるだけの史料は乏しい。本記事では、確実に言える「神領であった」という事実と、地名・神社という形で残った痕跡を中心に述べる。

御厨が果たした役割を、ごく単純化すれば次のようになる。土地で生み出された米や海産物が「贄」として伊勢へ運ばれ、神に供えられる。その見返りとして、土地は神宮の権威のもとに置かれ、在地の領主は一定の特権を確保する。解釈になるが、こうした関係は、単なる経済的な収奪ではなく、信仰と利害が結びついた中世特有のしくみであった。鎌田御厨という名は、磐田のこの一帯が、遠く伊勢の神とこのような関係で結ばれていたことを、今に伝える地名なのである。

御厨とは、神に捧げる食物を生んだ土地の名である。磐田の「御厨」は、千年近い昔、伊勢の神とこの地が結ばれていたことの、地図上に残る証しといえる。

御厨地区の村々 ── 鎌田・新貝・稗原・東貝塚

現在の御厨地区は、いくつかの旧村が寄り集まってできている。事実として、その中心が「鎌田」であり、ほかに新貝・稗原・東貝塚、そして大立野が含まれる。これらはいずれも、近世には独立した村として村高帳に記された村であった。

表1:御厨地区を構成する旧村と現在の地名
旧村(大字)読み地名の手がかり・備考
鎌田かまだ御厨地区の中心。中世の「鎌田御厨」の名のもと。鎌田神明宮が鎮座する。
新貝しんがい「貝」を含む地名。後述の貝塚地名と同様、古い海岸線・砂地との関わりが想定される。
稗原ひえばら「稗(ひえ)」は雑穀の名。やせ地・畑作地をうかがわせる地名。
東貝塚ひがしかいづか「貝塚」地名の一つ。西貝塚と対をなす。連載第四回で扱った海岸線後退の痕跡。
大立野おおだての御厨地区に含まれる大字。台地寄りの開けた野を思わせる地名。

解釈になるが、これらの地名を並べると、御厨地区がどのような土地であったかが透けて見える。「貝」「貝塚」は、かつて海がもっと内陸まで入り込んでいた時代の汀(みぎわ)の記憶であり、「稗原」は穀物の育ちにくいやせ地を、「鎌田」は田の広がりを連想させる。これは推測の域を出ないが、台地の南端から低地へと移る、変化に富んだ地形の上に村々が並んでいたのだろう。海と貝塚については連載第四回「貝塚という地名」で、台地のへりの村については第七回「匂坂・寺谷・岩田」でそれぞれ詳しく述べた。

なお「御厨」という呼び名は、これらの個別の村名とは別の層に属する。村ごとの名(鎌田・新貝……)が近世の行政単位であるのに対し、「御厨」は中世の神領という、より古く広い枠の名である。事実として、近代に複数の村をまとめる広域の名が必要になったとき、この古い「御厨」の名が地区の名として選び直された。地名は、消えるだけでなく、必要に応じて呼び起こされもする。

各地の「御厨」── 全国に広がる神領地名

「御厨」は磐田だけの地名ではない。事実として、伊勢神宮の神領が全国に広がったため、各地に「御厨」を名のる土地が残っている。比較してみると、磐田の御厨の位置づけが見えやすい。

表2:各地に残る「御厨」地名(例)
地名所在の目安性格
鎌田御厨/御厨静岡県磐田市伊勢神宮の神領にさかのぼると考えられる地名。本記事の対象。
御厨(みくりや)各地(神奈川・静岡・三重ほか)伊勢・賀茂など有力社の神領であった土地に広く分布する。
御園(みその)各地畑作・特産を主とする神領。「御厨」と対になる呼称。

解釈になるが、こうして並べると、磐田の御厨は「全国に散らばる伊勢神領の一つ」として理解できる。特別に大きな所領であったというより、各地に網の目のように設けられた神宮の所領のうち、遠江に置かれた一拠点だったと位置づけるのが妥当だろう。地名としての残り方は土地ごとに異なり、磐田の場合は地区名・村名・神社名という三つの形で痕跡が重なって残っている点に特色がある。

鎌田神明宮 ── 伊勢の神を祀る社

御厨が伊勢神宮の神領であったことを、今日もっとも具体的に伝えるのが、鎌田に鎮座する鎌田神明宮(かまだしんめいぐう)である。事実として、神明宮は天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る社の総称で、その名のとおり伊勢の神を勧請(かんじょう=分け祀ること)したことに由来する。神領であった御厨に伊勢の神を祀る社が営まれたのは、ごく自然な流れであった。

神明宮(神明社)しんめいぐう(しんめいしゃ)

伊勢神宮の祭神・天照大神を祀る神社の総称。「神明」は伊勢の神を指す古い言い方。全国の神明社・神明宮の多くは、伊勢の御師(おんし)の活動や、神領・御厨を通じて伊勢信仰が地方へ広まるなかで成立した。

式年遷宮しきねんせんぐう

定められた年数ごとに社殿を新たに造り替え、神を遷(うつ)す祭り。伊勢神宮では二十年に一度行われることで知られる。これにならい、各地の神明社のなかにも一定の周期で社殿を造り替える「式年遷宮」を行う社がある。

鎌田神明宮は、伊勢の本宮にならって二十年ごとの式年遷宮を続けてきた社として知られる。事実として、社殿を周期的に造り替えるこの営みは、神領としての伊勢とのつながりを、長い年月にわたり形あるものとして保ち続けてきたことを意味する。社の建築・祭祀の詳細については、当サイトの鎌田神明宮の解説ページにゆずる。本記事では、この社が「御厨=伊勢神領」という土地の性格を象徴する存在である、という点を確認しておきたい。

解釈になるが、地名「御厨」・神社「神明宮」・神事「式年遷宮」の三つがそろって残っていることは、この土地と伊勢とのつながりが、単なる名目上の所領にとどまらず、人々の信仰として根づいていたことをうかがわせる。ただしこれは推測の域を出ないが、神領であった中世から、神明信仰を核とした地域社会が形づくられていったのではないか。年代や経緯の細部は、なお慎重に扱うべきである。

御厨村から磐田市へ ── 近代の歩み

中世の神領「御厨」は、近世には鎌田・新貝・稗原・東貝塚といった個々の村に分かれていた。これらが近代の町村制のもとで一つにまとめられたとき、「御厨村」という村名がよみがえる。事実として、古い神領の名が、明治の自治体の名として選び直されたのである。

表3:御厨村から磐田市編入までの沿革(概略)
時期できごと
中世伊勢神宮の神領「鎌田御厨」が営まれる(成立年代・規模の詳細は史料的に未確定)。
近世(江戸期)鎌田・新貝・稗原・東貝塚などが、それぞれ独立した村として村高帳に記される。
1889(明治22)町村制施行。周辺の村々が合併し、御厨村が成立する(中世の神領名を村名に採用)。
1948(昭和23)見付町・中泉町などからなる磐田町が市制施行し、磐田市が誕生。
1955(昭和30)御厨村が磐田市へ編入。村名は地区名「御厨地区」として引き継がれる。
2020(令和2)東海道本線に御厨駅が開業。中世の地名が、新しい駅の名として再び表に出る。
中世 鎌田御厨 (伊勢神領) 江戸期 鎌田・新貝 稗原・東貝塚 1889 御厨村 成立 1955 磐田市へ編入 御厨地区に 2020 御厨駅 開業 神領 → 村 → 地区 → 駅。受け継がれる「御厨」の名
図:鎌田御厨から御厨駅まで、「御厨」の名がたどった道のり。

解釈になるが、御厨の歩みは、本連載が一貫して追ってきた「村が町・市にまとまる」流れの、典型的な一例である。違うのは、まとめる名として中世の神領名が選ばれた点にある。見付や中泉が街道・代官所という近世の機能に由来する名だったのに対し、御厨はそれより古い、神とのつながりに由来する名を引き継いだ。事実として、御厨村の磐田市編入は1955年(昭和30)で、同じ頃に向笠・南御厨・長野・岩田などの周辺村も順次編入されている。この一連の編入で、現在の旧磐田市の輪郭がほぼ整った。広域の編入については連載第十回「磐田郡という広がり」で扱った。

そして2020年、御厨駅の開業によって、いったんは地区名のなかに沈んでいた「御厨」の名が、再び日々の暮らしの表に現れた。解釈になるが、千年近く前の神領の名が、最新の鉄道駅の名として呼び戻されたことは、地名が持つ息の長さを、よく示している。中世の神に捧げる土地の名が、令和の通勤・通学の駅名として人々の口にのぼる――この長い隔たりを一語が橋渡ししている事実は、地名というものの不思議さを、あらためて感じさせる。

連載「まちの成り立ち」を終えるにあたって

第一回で江戸の村高帳から旧磐田市の骨格をたどって以来、本連載は見付と中泉、二之宮、貝塚、天竜川の村々、新田、台地のへりの村々、国府台、古地図、磐田郡、そして御厨と、一つずつ土地の名をめぐってきた。解釈になるが、これら一連の記事に通底するのは、「いまの住所のなかに、古い村や所領の名が層をなして残っている」という、たった一つの事実であった。

連載をふりかえって ── 三つの区別

地名は、土地の記憶を運ぶ、もっとも身近で長持ちする器である。御厨の古い字名(あざな)や境界が、いまの土地・古い家・空き家の整理のなかでふと立ち現れることもある。そうした場面で、この連載が土地の来歴を読み解く小さな手がかりになれば幸いである。連載の各回は目次から、はじまりは第一回「村が町になるまで」からたどれる。

よくある疑問(FAQ)

Q「御厨(みくりや)」とは、そもそも何ですか。

神社の所領のことです。もとは神に供える食物を調える台所(厨)を指す言葉で、転じて、その供物や年貢を生み出す土地――すなわち神社(とくに伊勢神宮)の所領を意味するようになりました。「御厨」という地名は、かつて伊勢神領であった土地に多く残っています。

Q鎌田御厨と伊勢神宮は、どう関係しているのですか。

鎌田御厨は、伊勢神宮の神領だったと考えられています。遠江国には伊勢神宮に関わる御厨・御園がいくつかあり、鎌田御厨もその一つと位置づけられます。鎌田に伊勢の神を祀る鎌田神明宮があることも、この土地と伊勢とのつながりを物語ります。ただし成立の正確な年代や境界は、史料上なお確定しきれていません。

Q鎌田神明宮の式年遷宮とは何ですか。

一定の年数ごとに社殿を造り替える祭りです。伊勢神宮では二十年に一度、社殿を新たに造って神を遷します。鎌田神明宮もこれにならい、二十年ごとの式年遷宮を続けてきた社として知られます。詳しくは鎌田神明宮のページをご覧ください。

Q御厨地区には、どんな地名(旧村)が含まれますか。

鎌田・新貝・稗原・東貝塚・大立野などです。いずれも近世には独立した村でした。明治の町村制でこれらがまとまって「御厨村」となり、1955年(昭和30)に磐田市へ編入されて「御厨地区」となりました(表1・表3参照)。

Q御厨村はいつ磐田市になったのですか。

1955年(昭和30)に磐田市へ編入されました。同じ頃、向笠・南御厨・長野・岩田などの周辺村も順次編入され、現在の旧磐田市の輪郭が整いました。村名は地区名として残り、2020年には「御厨駅」の名としても再び使われています。

もっと知るための手がかり

調べる場所
磐田市立図書館(『磐田市誌』、角川『日本地名大辞典22 静岡県』、平凡社『日本歴史地名大系』ほか地域資料を所蔵)。
地名を読む
「御厨」「神明」「贄」などの語を手がかりに、伊勢神宮の神領史料・神領目録のたぐいにあたると、中世の所領の広がりが見えてくる。
関連記事
鎌田神明宮第四回・貝塚という地名第十回・磐田郡磐田の地名

主な参考

連載の目次へ 第一回 村が町になるまで 第十回 磐田郡という広がり 鎌田神明宮